9月7日

2001-09-07 vendredi

学生さんが次々と「お見舞い」に来るが、もう大丈夫である。
午前中に少し仕事をしてから、CLAに最後のご挨拶に出かける。ながながお世話になりました、また再来年もよろしく。
午前の授業が終わって出てきた諸君と学食でご飯。
フランシュ=コンテ料理は「いも&チーズ・ベース」の超ハイカロリーめにうであるが、学生諸君は2週間のあいだにすっかり「フラノ=コントワ腹」になってしまって、山のようなおいもをぺろりと平らげている。
この「学食めにう」に一度腹がなじんでしまうと、日本に帰ってから「ああ、あれが食べたい」と切実に願うようになる。私も学生のときにはじめはぜんぜん口に合わなかったへんてこな「酢漬けのレタス」を学食で毎日食べているうちに「レタスとパンと安ワイン」の織り成す絶妙の和音に魅了されてしまい、日本に帰るのがつらくなったことがある。

バスの中で『リベラシオン』を読む。
面白い記事があったのでご紹介しよう。(新聞記事ばかり紹介しているが、ブザンソンでは何の事件も起こらないし、日本ではこういうハードでかつ面白い記事はなかなか読めない。日本でも『リベラシオン』はインターネットで読めるのだが、読む気分にならないのが不思議。)

(1)移民問題について、国連難民高等弁務官の Ruud Lubbers さんの発言。

「ヨーロッパでは移民の問題を政治的ポーズで一律に処理したがる人が多くてこまる。『全部受け容れるべきだ』というのも『全部追い返せ』というのも現実的には無理なんだよ。必要なのは『統制のとれた移民受け容れシステム』(un systeme d 'immigration contorolee) をヨーロッパ規模で統一的に整合させること。合法的な受け容れ基準を定めなければ、非合法入国が増えるだけなんだから。だから、どうか選挙の人気とりや、みんなの前でいいかっこしたいばかりに、難民問題を一般論で語るのは止めて欲しい。政治的難民は受け容れるべきだが、経済的な理由での移民の流入は制限しなければならない。できることとできないことがあるんだ。移民問題に総論的解決はない。」

(2)社説も同意見。

「人間の流動は世界的現象であり、だれもこれをとどめることはできない。最後の聖域だったオーストラリアと日本もいまや移民の流入を食い止めることができなくなっている。この問題についての『よい選択』(bon choix) はない。あるのは『より悪くない選択』(moins mauvais choix) だけだ。可能なのは移民希望者の一定数を合法的に受け容れるということである。それでもなお、逃れの町を求める人間の権利は貴重だということは繰り返し強調する必要がある。持たざるもののために隙間を空けてあげるのは、持てるものの責務なのである。」(こういう言葉が力まずに「さらり」と出るところがさすが文化の成熟である。日本だと「責務」なんていうとみんな気色ばむからねえ)

(3)メキシコからの非合法入国者の身分保全につてのメキシコ大統領からの訴えに対しての、アメリカの学者の発言。

「不法入国者を合法化して誰が得をするの?
議会がうんというわけないよ。アメリカ国民の大多数の同意がなければ無理だよ。みんな勘違いしてるけど、アメリカ人ていうのはけっこう移民排斥的だよ。大戦間期や KKK を思い出してごらん。」

世論調査では不法滞在者の特赦に反対のアメリカ人は55%(賛成は34%)

おまけにたぶん日本のマスメディアでは紹介されないだろう記事をひとつ。
「ジャック=アラン・ミレール逆上」。
フロイト派の学術誌 Revue Francaise de psychanalyse で揶揄され、反論の掲載を拒否されたミレールさんは反論 15 頁を 2000 部刷って配り、プレスを前にして「今度という今度は最終戦争だ。私は怒った。頭にきた。私をこんなふうに扱ったらどんなめにあうか、目にものみせたる」と熱弁をふるっている。
記事は事実だけを淡々と報じていたけれど、行間には皮肉がにじんでいる。
「まさかと思われたところから火がついた。というのは、もめごとがあるとしたら、どうせラカン派同士のあいだだろうとみんな思っていたからである。」

レヴィナス論が片付いたので、さっそく中根さんがのどから手を出して待っている『困難な自由』の翻訳にかかる。
この二週間ほど「レヴィナスに憑依されている」状態であったので、すらすらすいすいと訳が進む。3時間で 10 頁訳す。こりゃ早いや。でも全部で400 頁もある本のやっと 100 頁。パリにいるあいだにホテルにこもってあと 100 頁くらい稼ごう。
夕方になって、「最後の晩餐」にブルーノくん、ヴィンスくん、サトカッチ、祐理さんが登場。こちらはサチコ、トモ、マキコ、マユの四人。(あとのみなさんはテアトルにダンスを見に行ったりいろいろ)
Planoise の Le Phare というお洒落な海鮮レストランへ。現地でサリックくんと美人の奥様が合流。最後というのでちょっと張り込んで Muscadet と Beaujolais を奢ったが(いつもは Pichet)、結構お値段リーズナブルであった。
合気道のお弟子さまたちに囲まれてウチダはちょっと上気してしまって、フランス語で演説をしてしまう。
というのも先日書いたように、サリックくんとヴィンスくんが「これから合気道をやる」と決意してくれたからなのである。ヴィンスくんは日本の柔術をやっていて、サリックくんはカンフーを2年、空手を 10 年という武道青年であるが、私の合気道の稽古で coup de foudre「電撃的衝撃」を受けたとおっしゃるのである。話半分としても過分なお言葉である。(奥様の証言によると、「その晩、興奮して帰ってきて『合気道はすごい』って大騒ぎ。私をつかまえて『こんなんだぞ』と技をかけようとするんですから。」)
そうだったのか、そんなに感動しちゃったのかサリック君。
ワインの酔いも手伝って、武道における師弟関係とはいかなるものかについて論じる。

諸君が私を「メートル」と尊称してくださるのはたいへんうれしく、光栄であるのだが、私はへっぽこ武道家にすぎない。そのことは私がいちばんよくわきまえている。しかし、私はその尊称をあえて受けようと思う。というのは武道にかぎらず師弟関係でいちばん大事なのは師を「過大評価する」ことだからである。師とはある意味で、単なる機能、単なるきっかけにすぎない。おのれを高めるのは畢竟おのれ自身である。誰もあなたを高めてはくれない。だが、その自己陶冶において、もっとも堅固で持続的なモチヴェーションとなるのは、「卓越した師に私は出会った。その師に私は選ばれた」という「幸福な誤解」なのである。私は諸君の「幸福な誤解」を尊重する。諸君はいずれ私を超えて堂々たる武道家になる可能性にあふれている。私はそのきっかけを作ったことを誇りとするであろう。諸君は私の弟子であり、私を通じて多田宏先生の弟子であり、多田先生を通じて植芝盛平先生の弟子である。めざせシリウス。

同じことを何度も書くが、武道をやっていてほんとうによかった。膝が砕けようと、腰が抜けようと、おいら武道はやめないよ。