9月5日

2001-09-05 mercredi

本日も曇り。肌寒い。
午前中はずっとパソコンにむかってレヴィナス論の直し。一応最後まで通読して、話のつじつまは合った。あとは細かい語句の統一など。
昼に街に出て(と言っても五分歩くだけなんだけど)Galeries Lafayette(があるんですよ、ブザンソンにも、4年前は違う名前だったけど)でセーターを買う。470F。
サンドイッチを買って広場で『リベラシオン』を読みながら食べる。なんだか殺伐とした記事ばかりである。

あまりに寒いので、ホテルに戻って仕事を続ける。
「エロスの現象学」についてのマルク=アラン・ウアクナンの『エロス的瞑想』を読んで、何かとんでもない勘違いがないかどうかチェックする。ウアクナンくんはフィンケルクロートと並んで、レヴィナスのそれはそれは忠実なお弟子さまである。哲学にも詳しいしおまけにラビであるので、ユダヤ教についても間違いがない。「勘違い」を探すためのプルーフ・リーディングのつもりであったが、困ったことに、私が書いていることとウアクナンくんの書いていることがやたらに似ている。
まあ、お弟子さん同士なのであるから、老師を称えるスタンスが似てくるのはやむをえないが、「これはおいらのオリジナルだな」と思っていたことをウアクナンくんがばりばり書いているのは困る。これでは知らない人が私の本を読んで「あ、ウアクナンをぱくってる」と思うのではないかと心配である。しかし、断っておくが、ぱくったわけではないのだよ。この本を私が翻訳したら、よい訳文になりそうである。中根さん、こんどこれやりませんか。Meditation erotique - essai sur Emmanuel Levinas, Balland, 1992 です。

Meditations Erotiques - Essai sur Emmanuel Levinas

午後はじめて日本に電話をする。この間日本で起きた重大事件は新宿のキャバクラ火災と参院選の選挙違反の摘発と稲垣吾郎の刑事事件くらい。日本は平和のようである。

夕方になったので、ブザンソン合気道会最後のお稽古に出かける。今日のお弟子さまはブルーノくん、サトカッチ、ヴィンスくん、サリックくんの四人。(越君は日本からお友達が3人やってきたので、今日はお休み)
せっかく日本からめんどうな思いをして運んできたので、合気杖を少し教えることにする。ガルシエ道場にも杖らしきものはあるのだけれど、ストレッチ体操で使うバトンのようなもので、長さも重さもだいぶ違う。しかし贅沢は言ってられない。
まず杖の持ち方から教えて、合気杖の基本形二種類を教えて、杖をつかって気を練る稽古をする。みんな汗をかいて必死に体捌きをする。
それから転換を入れての四方投げ、入り身投げ、小手返し、肩取り二教、呼吸投げ。
あっというまに二時間が経つ。
この四日間、右膝をかばって右の下半身にほとんど力が入らない状態であったが、ごまかしごまかし最後までなんとか持たせた。正直言うと、日本を出る直前まで、膝の痛みがひどくて、フランスに道衣や杖を持ってゆくのもやめて、ブルーノくんに会ったら「ごめんね、今回はお稽古なしね」と因果を含めようと一度は心に決めたのであるが、私との稽古を心待ちにしているブルーノくんの切ない表情を想像するとそれもかなわず、びっこをひきひきでもいいし、身体を動かさなくて口だけの指導でもいいから、一応道衣だけは持っていこうと、出発前日に意を決したのである。さいわい、ブザンソンについて数日してから膝の痛みが軽減して、なんとか稽古の格好がついた。神に感謝。
これまで四日間快く道場をお貸しくださったイワンさんに三拝九拝お礼をしてガルシエ道場をあとにする。イワンさんはほんとうによい人である。武道の友はほんとうによい。
わずかな期間の稽古であったが、これをきっかけに合気道を本格的に稽古したいというひとが出来たのは嬉しい限りである。サリックくんは 10 年空手をやっていて、「なんか違う...」と思っていたのが、わずか二度の稽古で「求めていたのはこれだ」と腑に落ちたそうである。ヴィンスくんもこれをきっかけに合気道を始めるそうである。こういう話をきくと、ちょっと「ほろり」としてしまう。無理をしてでも合気道の稽古をしてよかったと思う。
ブザンソンではレジスさんという方がすでに道場を開いている。(ブルーノ君も越君も祐里さんももともとそこのお弟子さんである)。今回の「合気道スタージュ」がブザンソンにおける合気道の隆盛の一助となることができたのであれば、これにすぐる喜びはない。

稽古を終えて街へ出て、越くんご一行と合流。ブルーノくん、ヴィンスくん、サトカッチ、マルレンくん、それに越くんご一行四名。都合9名でどどどと Chez Alain というレストランに繰り出す。越くんたちはテーブルを押さえに、Le Coucou に先に行ってくれたのであるが、うちの学生6名がすでにテーブルを占拠しており、われわれのスペースがなかったので、河岸を変えることにしたのである。昨日は三人が越くんのマンションに上がりこんで騒いだらしいし、うちの学生諸君も着々とたくましく「ビゾンティーヌ」化を遂げている。
でも、とりあえず入ったシェ・アランは「当たり」。私は鴨を頂いたが、なかなか美味。フランス語英語日本語が飛び交うマルチリンガルな会話のうちにブザンソンの夜は静かに更けて行くのでありました。
ブザンソンもあと残すところ二夜。