今日も雨が降ったり止んだりの肌寒い一日である。
午前中はレヴィナス論の直し。昼は街で買ったサンドイッチをドゥ川を眺めながら齧る。雨が降ってきたので散歩を切り上げて、部屋で夏目漱石の文芸論集を読む。あまりに面白いので仕事にならない。
レヴィナス論を書いているうちに時間となって合気道のお稽古に出かける。
今日の受講生はブルーノくん、越くん、祐里さんの経験者組と、木綿子さん、里果さんの新人二人。それにガルシエ道場で柔術をやっているマクシムくんの六人。それに見学者がイワン・ガルシエさんほか二名。
昨夜、モナコを呑みながら、三教の極め方についてカフェで話をしていたら、みんなそれをやりたいというので、極め技を教えることにする。ほんとうは初日は礼法と呼吸法と体捌きくらいしか教えないのであるが、滞在期間が短いので、速成コースである。
体の転換、呼吸投げ、四方投げ、それから一教、二教、三教を順番に教える。力をつかわずに正しい線を効かせて技を遣う、という基本だけを繰り返し注意する。みんな非常に熱心に稽古している。
どうしてこんなに熱心なのであろう不思議であると昨日書いたが、稽古のあとカフェで美味しいビールをのんでいるときに、学生の一人が「日本にもすばらしいものがあるということが分かって、うれしい」とぽつりとつぶやいているので、得心がいった。
フランスに来た若い人にとって、自分たちの本国のもので、フランス人に誇れるものがとりあえず思いつかないということはけっこうショックな経験である。
政治はまったく話しにならないし、経済だってバブル崩壊以後ぼろぼろだし、文化的ソフトといっても自慢できるのは宮崎駿のアニメと『ファイナル・ファンタジー』くらいしかない。あとはせいぜいパリではお寿司がブーム。
なんだかずいぶん貧しい国から来た人間なんだ...とちょっとさびしくなっているところで、フランス人のあいだでが日本の武道に対する関心と敬意が非常に高いということを知る。
日本のもので、フランス人が目を輝かせて「すばらしい」と賛嘆するものがある、というのは心強いものである。
そして実際にやってみると、道衣を着付ける、正座する、礼をする、身体を極めて刀を振る、といった基本的な動作については、未経験の日本人学生でも、フランス人に対してあきらかに一日の長がある。
それは『暴れん坊将軍』とか『水戸黄門』とかを横目で見ながら育ってきた十数年の「蓄積」というものが利いていて、「武道的にきれいな体の運用」についての美的な判断力がある程度は備わっているからなのである。
それはモンゴル人であれば「馬の乗り方」についてそのよしあしがある程度は分かるとか、スペイン人であれば「フラメンコ」については出来不出来をかなり適切に判定できる、というのと同じことである。
日本人である、というだけである程度のアドヴァンテージのある分野というものはめったにあるものではない。
武道はそのきわめてレアなひとつである。
それがフランスで敬意をもって遇されている文化であるとすれば、かの地の日本人たちが「ちょっとやってみようかしら...」となるのにいささかも不思議はなかったのである。
私はそれはとてもよいことだと思う。
自国の文化に誇りを持てるというのは、ほんとうによいことである。それが夜郎自大に膨れ上がった妄想的な誇りではなく、外国の人々の真率なる敬意にうらづけられた誇りであるなら、それにすぐるものはないと私は思う。
稽古のあと、ブルーノくん、越くん、祐里さんと Le Coucou というお店へ。ブルーノくんご推奨の Gratin Morteau を試みる。モルトーというのはフラン・コントワのソーセージ。おいもとチーズとソーセージのグラタンである。これが美味。思わず無言になって食べ続ける。うーん、これはうまい。41F で大満足。
(2001-08-31 00:00)