8月28日

2001-08-28 mardi

学生諸君を送り出してへやで仕事をしていたら CLA から呼び出しの電話。
コーディネイターのジャック・モンディさんとクラス分けについて相談する。やはりスタジエールのなかに多少の学力差があるようである。
時間割の変更や学食の使い方についてご注意をうけてから、学生をつれて市内の学食へ。17F でなかなか美味しいお昼を食べる。
午後の授業に出る学生さんと別れて、市内で少し買い物。ホテルに戻ると、バーゼルから吉国さんが到着している。

17 歳以来、34 年ぶりのご対面である。先方はホームページで私の写真を見ているので、いまこんな顔をしていることはご承知おきなのであるが、私はまったく分からない。廊下ですれ違っても気がつかないであろう。高校生のときの顔を思い出そうとするのであるが、どうしても浮かんでこない。
まあ、話の内容が内容であるから、よもや人違いということはない。
さっそくビールをのみつつ、高校時代の旧友たちの消息について情報交換。
新井啓右、橋本昇二、塩谷安男、吉田城、山崎順といった吉国さんと私がともに親交のあった日比谷高校の逸材たちの逸話で盛り上がり、「ブザンソン如蘭会」気分になってくる。(吉国さんは大学のとき私の同級だった漆間くんの同僚でもあったことも判明。世間は狭い。)
街へ出てカフェでパスティスとキール、レストランでワイン、部屋に戻ってシーバスと、どんどん呑みつづけながら、深更に至るまでインターネットの効用、ユダヤ人の思考方法、日本の教育問題、金融構造改革の展望などについて、国際金融専門家と有意義かつ愉快な意見の交換をする。
最後は、こんな異郷のホテルの部屋で、おめにかかって楽しい時間をすごせるのも、すべては亡き新井啓右くんのお引き合わせであるなあ、と感慨無量となる。

もうすぐかの天才が没して 25 年となる。
帰国したら、供養のために、新井くんの遺業を追悼するためのホームページ、「ウェブ・墓碑」というものをつくることにしよう。