8月25日

2001-08-25 samedi

ブザンソンへの移動日。朝9時にホテルを出て、リヨン駅へ。いつもどおり Train Bleu で『リベラシオン』を読みながらコーヒーを飲んで発車時間を待つ。TGV はあいかわらずいいかげんな時刻に適当に発車する。
車内でも『リベラシオン』を読み続ける。実に面白い。いわゆる「ストレート・ニュース」はほとんどなく、すべての記事に署名者の明快なオピニオンが述べられている。偽装された中立性よりも、こういう堂々たる党派性の方が、論じている主題のどこにどういう問題があるのかがはっきり教えてくれる。どうしてこういう感じの新聞が日本には存在しないのであろう。
オーギュスタン・ベルクのインタビューが二頁。和辻哲郎の風土論についてけっこう詳しい解説をしている。和辻哲郎について書かれたフランス語の文章は、当たり前であるが、よく分かる。「知っていること」は何語で書かれていても分かるが、「知らないこと」は何語で書かれていても分からないのである。

午後1時過ぎにブザンソン着。ブルーノ君が日本人留学生の越くんといっしょに駅までお出迎えに来てくれる。二人の若者がてきぱきとみんなのスーツケースを運んでくれるし、ガイドさんが手続きを全部してくれるので、私はぼけっと立っているだけでよい。
バスで Relais Mercure へ。川沿いのきれいな三つ星ホテルである。クーラーがついていないので、さすがに暑いが、これまでの学生寮にくらべれば夢のような快適さである。
部屋に荷物を置いて、ブルーノくん、越くん、ガイドの大場さんと四人でカフェに行って、とりあえずビール。四年ぶりの久闊を叙す。
昼酒であたまがくるくるしてきたので、いったんホテルに戻ってシャワーを浴びて、ベッドにころがって、だらだらと『猫』を読む。なんというグルーヴィな文章であろうか。語彙が豊かであるということは、要するに「使える音符」の数が多いということである。うねるような、畳み込むような、滑空するようなエクリチュール。その文章を読むことそのものがが身体的な快感をもたらす漱石のような作家はこの先もう出てくることはないだろう。

バーゼルの吉国さんから電話があって、火曜日にブザンソンで二人だけで日比谷の同窓会をすることになる。バーゼルからは 100 キロ。車なら2時間足らずの行程である。17 歳以来であるから、果たしてお互いにアイデンティファイできるかしら。

午後7時にふたたびお迎えが来て、体調のわるい一人を残して、全員で郷土料理を食べに行く。ブルーノくんにあらかじめ「15 名程度ぞろぞろ入れるようなレストランを予約しておくように。あまり高いとこはだめよ」と言ってあるので、ただついてゆくだけでよい。
年をとると、めんどくさいことはもうやりたくないし、やりたくてもその根気も体力もないが、なぜかそのめんどうなことを一手に引き受けようという若い人が出てきて、尻の重い爺いの世話を焼いてくれる。まことにありがたいことである。
ブルーノくん、越くんのほかにブザンソンの合気道仲間であるマルレヌくん、ユリさんも来て、なんだかずいぶんにぎやかな会食となる。
合気道のおかげで、フランスの地方都市で、いきなり初めて会う道友たちと年来の知己のごとく交歓できるわけである。合気道をやっていて本当によかったと思う。
美味しいフラノ・コントワ料理を頂いて、酔眼朦朧とホテルに戻る。

明日は日曜。ゆっくり休養して、月曜からはいよいよスタージュの始まりである。私も最初だけはいろいろと交渉ごとにあたらないといけない。月曜にどこにいって何をすればいいのか、日本からメールで問い合わせたのであるが、返事がないから、いきあたりばったりである。青学からの留学生である越くんが、月曜早朝にいっしょに来て、手続きのお手伝いをしましょうと申し出てくれる。まったく好青年たちばかりである。
というふうに、めんどうなことはすべて好青年たちに任せて、おじさんは『猫』を読んでごろごろしているだけである。よいね、こういうのは。