8月24日

2001-08-24 vendredi

パリ三日目。今日も暑い。37 度くらいあるのではないか。
単に気温が高いというだけでなく、やたらに車が多く、観光客も多く、全体に立て込んでいる。よく知らないが、フランスは日本よりはだいぶ景気がいいらしい。そのせいで、なんとなく町を行くフランス人には「ぐいぐい押しまくる」という感じがする。
それに加えて、社会全体の中産階級化と、グローバリゼーションによる生活様式の均質化のせいで、ひとつところに人間がぐちゃっとたまっている。
というわけで街は暑苦しいし、人は多いし、とりあえず切手と新聞を買いに町に出たら、それ以上歩行する気力がなくなって、Uターンして涼しいホテルの部屋に戻り、半ズボンにTシャツ、ゴムゾーリ姿に着替えて、ノートパソコンを前にばりばり仕事をすることにした。
ヴィラ・ボーマルシェは静かなホテルで、宿泊客もあまりいないし、その方たちもなんとなく「世間をはばかる不倫カップル」みたいでたいへんもの静かである。朝ご飯の食堂でも誰も大きな声で話す人などおらず、かちゃかちゃと食器がふれる音がするばかり。
部屋にこもって仕事をしていても廊下を歩く足音さえ聞こえない。
その静かな部屋でがんがんにクーラーをかけて、こりこりと原稿のなおしをする。
いわゆる「ホテルに缶詰」状態であるから、なかなか効率がよろしい。
訪ねてくる人もいないし、電話もかかってこない。
『メル友交換日記』を仕上げて、次は『レヴィナス論』の校正にかかる。今日一日で第一章の校正が終了。好調なペースである。

5時になったので、ジローくんのところへ行って、二日分の日記をメールでフジイくんに送る。
マダムが暑気あたりでダウンしているので、早々に退散して、学生4人をつれてサンタンヌ通りの「ひぐま」に味噌ラーメンを食べに行く。
ハイネケンにラーメンにギョーザで、幸せな気分になる。
学生諸君もパリの暑さと時差ぼけと毎日の強行軍のせいで、食欲がないらしく、聞けば着いてからろくに食事をしていないらしい。
「野菜が美味しいです」といいながら、みんなラーメンのモヤシをばりばり食べている。

私はフランス語の語彙がきわめて乏しいのであるが、その中でもレストランのメニューのフランス語はもっとも苦手で、料理法も食材もまるで見当がつかない。適当に頼んで食べるのであるが、基本的に勘のよい人間なので、まず「はずれ」はない。
しかし、結果オーライで美味しいものが食べられたにしても、食事の満足感というのはそういう「結果オーライ」では得られるものではない。
あまり知られていないことだが、ご飯の満足度というのは「期待した食感」と「実際の食感」のあいだの一致度の高さの関数である。
「何だか分からないまま注文して、食べてみたら美味しかった」という経験のもたらす満足感と、「こういう味のもの」が来ると予測していたら,その通りのものがきた、という経験のもたらす満足感では、圧倒的に後者のほうが高いのである。
よく「パリまできてマクドナルドでハンバーガーを食べるやつの気が知れない」というような訳知りのことを言う人がいるが、これはパリであろうが、クアラルンプールであろうが、「期待したもの」が食べられる満足感は、「おもいもかけない珍味」のもたらす満足感を凌駕するということを知らない愚者の言である。
つねづね述べていることであるが、例えば「トンカツが食べたい」と深く念じていると、「胃袋がトンカツ状にへこむ」ということが起こる。「トンカツ状にへこんだ」胃袋に、ジャストフィットでトンカツが嚥下されるときの快感は言葉には尽くせない。
内田百鬼園先生はこれを「味が決まる」という言葉で表現しておられた。
あまり美味しくないものであっても、「味が決まれば」それは深い満足感をもたらすのである。
これは食事とは別種の快楽についても言えるのであるが、これについて詳述することは私の立場もあることなので控えさせて頂きたいと思う。

「ひぐま」から戻って、ジローくんとバスチーユの Cafe des Phares で「お別れの一献」を傾ける。
ここは例の「ビストロ・フィロ」の発祥地である。
ご存知ないかたもおられるかもしれないが、数年前、このカフェ・デ・ファールに善男善女が集まって、「人生って何?」みたいなことを議論し合って、それが全世界に報道されたことがあったのである。
カフェで人々が哲学するのはまったく悪いことではないが、そういう二三年であとかたもなく消えてしまうようなムーヴメントに真顔でコミットするのって、ちょっと恥ずかしいと私は思う。
そんなことをいいつつ、「le premier bistrot philo cafe des phares」という「かんにんしてくださいよ」的なロゴを眺めながら、ジロー先生と二人で哲学についてつい熱の入った議論をしてしまった。
私はこれまで8回パリに来ているのであるが、そのうち3回(74年、95年、01年)はジローくんとご一緒である。(最初のときはジローくんのアパルトマンに3週間も居候させていただいた。)
だからジローくんといっしょにパリのカフェでビールなんかのみながら、だらだらおしゃべりをしていると不意に既視感のようなものにとらわれて、いまがいつで、自分が何歳で、自分が何ものなのか、混乱してくることがある。
なんだか 23 歳のときの私たちと、しゃべっている内容はあんまり変わっていないようである。
角で「じゃあ、また秋に」と言って別れたときに、「くそ爺い」になった二人が、「まったく最近のフランスのわけーもんには困ったもんじゃよ」と愚痴をこぼしながら、サン・ミシェルあたりのカフェで昼酒を呑んでいる二十年後の姿が脳裏をかすめた。