8月22日

2001-08-22 mercredi

フランス語語学研修の第一日目。
台風11号も無事に東海地方にそれて、前夜までの風雨も収まり、無事に出発できることになった。
午前 9 時 50 分、定刻に全員集合。国際交流センターの川村さんと日本旅行の下山さんに見送られて出国ゲートをくぐる。ブルーノ君へのお土産の杖と木刀は機内持込を禁じられて取り上げられてしまったが、その他はこともなし。
いきなり気分がだらけて早速昼から生ビールで一人で祝杯。そのままずるずると機内へ。ただちにシャンペンを頼んで気分がよくなる。そのまま昼飯で赤ワインをいただき,さらに気分がよくなる。

山本周五郎の一『樅の木は残った』を読み終える。なんだか気の滅入る話であったが、山本周五郎ファンのお兄ちゃんによると、原田甲斐は「日本男児の範例」であるそうである。
「何を考えているのかよく分からない人」が実は忠烈の士であり、全員に誤解されつつ一身に責任を引き受けて死ぬ、というところに『忠臣蔵』の大石蔵之助に通じるものがある。こういうタイプが「日本人がもっと好きな男のタイプ」であるというのはがなんとなく分かるような、分からないような。

ひまなので隣の席に座った三菱電機のレンヌ工場のお兄さんと携帯電話市場の展望と生産拠点の海外移転にともなう日本の産業構造の変化について意見の交換を行う。
私は異業種の人の話を聞くのが大好きなのであるが、このお兄さんは三浦友和に雰囲気のよく似た非常にクレバーかつフレンドリーな方で、きわめて適切にヨーロッパにおける携帯電話市場の問題点について説明してくれた。

ワインの酔いがまわってぐーすか寝ているうちに、フランスに到着。
すばやく荷物を拾い上げて、バスでパリへ。
ホテルはバスチーユ近くのヴィラ・ボーマルシェ。四つ星の豪華プチホテルである。
部屋割りをすませて、荷物をほどいていたら、約束の刻限となり、ジャン=リュック・ジローご夫妻が登場。増本、田積、豊田の三人の学生さんをともなってバスチーユ広場近くのビストロで夕食。
私はイワシと七面鳥を食べてロゼをごくごく飲む。
ジロー君を相手に与太を飛ばしながらワインを飲んでいると、ここがパリであるという気がぜんぜんしない。西宮北口あたりで学生を引き連れて宴会をしているような気分である。せっかくパリまで来て、北口気分というのも気楽なようなもったいないような。
ブールヴァール・ボーマルシェのカフェでアルマニャックを頂きつつ、パリの第一夜を満喫する。

今回のパリ滞在は用事らしい用事はなにもないので、まったく気楽である。
美術館をいくつか回るだけで、あとは公園に寝転んで、ノートパソコン相手に原稿の手直しのお仕事をするばかりである。
明日はジロー夫妻とサン・ミシェルにショパンを聴きに行くことになった。
もうすっかりバカンス気分である。