8月21日

2001-08-21 mardi

台風がぴうぴう吹いているので、ひさしぶりに涼しい日が二日続いた。
私のマンションは高台の6階にあるので、晴れた日には大阪湾の彼方にくっきりと生駒金剛の稜線が見えるほど見晴らしがよろしいのであるが、今日は南の海岸線も白く霧がかかっている。もうすぐ台風が上陸する。
明日からフランス。荷造りはだいたい終わった。あとは持ってゆく文庫本の選択である。ヨーロッパで仕事のあいまに読むのに明治文学が「美味しい」というのが私の持論である。今回は荷風と漱石を持ってゆくことに決めている。荷風は評論集と『断腸亭日乗』で決まりなのであるが、漱石が『猫』のほかにどれにするかなかなか決まらない。

漱石を読み直そうと思っている理由にはほかにも理由がある。
「おじさんの系譜学」というエッセイを晶文社のホームページに秋から連載することになった。成島柳北、夏目漱石、永井荷風、内田百鬼園などを順次論じる予定であるが、そこでの主題は、近代文学は「おじさん」と「お兄さん」のあいだのヘゲモニー闘争として展開したのではないか、という仮説の検証である。

漱石の小説には男が二人出てきて対話する、という構図がよく使われる。『野分』や『二百十日』はそれだけだし、『虞美人草』の冒頭も同じ結構である。この二人こそ漱石が明治近代をいずれに託すべきかを逡巡した二つの「自我モデル」である、というのが私の仮説である。
ここで対話しているのは「おじさん」と「お兄さん」である。
年はだいたいいっしょだから、ことは実年齢とはかんけいない。問題は世界に対する彼らのスタンスである。

「あの烟るような島は何だろう」
「あの島か、いやに縹渺としているね。大方竹生島だろう。」
「本当かい」
「なあに、好い加減さ。雅号なんざ、どうだって、質さえ確かなら構わない主義だ」

よくできているね。『虞美人草』のわずか四行を抜き書きしただけで、この対話が「おじさん」と「お兄さん」のあいだのものであること、そして漱石が「おじさん」に深く感情移入していることが一目瞭然である。
私の「おじさん」論のテーマは明治の知識人たちが渾身の力を込めて造型した「近代日本を支える男性的エートス」が「おじさん」であったというものである。

近代以前に「おじさん」は存在しない。
日本文学史は明治近代は「お兄さん」を発明した、と論じてきた。高橋源一郎までそう書いている。
私はそれはちょっと違うんじゃないかと思う。

明治が発明したのは実は「近代的自我」ではなくて、「近代的自我」を生活者に鍛え直す機能、「近代的自我」にむやみな内省をさせない機能なのではないか。
これまでの文学史だと、『虞美人草』なら、主人公小野君(典型的な「お兄さん」だね、こいつは)の煩悶に焦点を宛てて来たけれど、私はむしろ宗近君(『猫』の苦沙彌先生と並ぶ漱石的「おじさん」のプロトタイプである)の造型に興味がある。だって、そっちの方がだんぜん私は好きなんだもん。
漱石の「則天去私」は漱石の「転回(ケーレ)」ではなく、「おじさんの王道」の帰結ではないか、私はかように考えるのである。
で、この手の「おじさん」的お兄さんの原点を成島柳北にまで遡及して、そこから明治文学史の読み直しを試みて見ようではないか、という壮大な企図なのである。

しかし、あれだね。
私も。
レヴィナス論を書き終わって「ライフワークが終わって虚脱している」とか一昨日書いておきながら、その翌々日には「明治以来の日本文学史の読み直し」計画を嬉々として語っているわけで、ほんとに「懲りないひと」なんだ。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の「いくら失敗しても懲りない科学者」ドクター・エメット・ブラウンみたいだ。