8月18日

2001-08-18 samedi

昨日書いたとおり、一昨日の午後、レヴィナス論を書き上げた。まだ手直しは必要だが、大筋のところはもう終わった。
レヴィナス論というのは私の「ライフワーク」だったわけで、それを書いてしまったということは私のライフワークが終わったということである。
今年の春にるんちゃんが家を出ていって、18年間におよぶ私の「父親」としての仕事が終わった。
同じ頃に膝に膿腫が発見されて外科医から「運動禁止」を言い渡され、四半世紀に及ぶ私の武道家人生にも事実上終わりが宣告された。
「父親」と「武道家」と「研究者」の三つの「ライフワーク」がばたばたとほとんど同時に終わってしまったわけである。
というわけで、昨日は山本浩二画伯と、難波江和英先生と三人で「上川南店でハモや鯖のきずしや秋刀魚などを食べる会」が開催されたのであるが、期せずして、難波江さんの「人生心機一転祝い」と私の「ライフワーク終了あとは余生だ祝い」をかねることとなった。
ナバちゃんの「心機一転」はたいへんに夢に溢れた未来志向的ものなのであるのに対して、私の「ライフワーク終了」は肩の重荷がおりて気分は爽快なのであるが、どちらかというと、地平線まで何一つない広漠たる雪景色を見る爽快さというか、長旅の果てにオホーツクにどどおーんと打ち寄せる波を見て「おお、旅もこれで終わりか」的な解放感をともなったものである。
こういう感じはこれまで経験したことがない。
このあと私はどうなってしまうのか、自分でもよく分からない。
来週からフランスであるので、初秋のパリの街角で、静かにコーヒーなど喫しつつ、来し方行く末についてたまには静かに内省してみることにしよう。

ベルギーからK井K奈姫が一時帰国されたので、赤澤(旧姓尾川)牧子さんともども岡山で会食。姫と会うのはご本人の結婚式以来である。
「あーら、先生、お元気でしたー」と悠然と姫は登場。赤澤さんは岡山駅前交番のお巡りさんの「ここに車停めちゃだめだよ」というご注意をシカトしながら登場。
イタリアンレストランで昼食ののち、赤澤清和さんのガラス・スタジオに遊びに行く。
いつかガラス工房にグラスを作りにきませんかというお誘いを前から頂いていたので、その約束を果たしに来たのである。
インスタント吹きガラス講座を受講したのち、ただちに製作にとりかかる。
高温でねとねとしているガラスを鏝でこねこねするのはたいへんにむずかしく、それでも赤澤さんに手取り足取り助けて貰って、なんとかガラス器が二つできた。
一つはビールグラス、一つは冷や麦用のお椀に使わせて頂く予定である。ついでに、転がっていたガラスの「ひょうたん」を頂いて帰る。(これは箸置きに使う)
赤澤さんどうもありがとうございました。また行きますね。
そのあと再び岡山市内にもどり、三人でしばし歓談。
この子たちと語学研修のあとに寄ったヴェニスでワインを飲んでわいわい騒いだのがつい昨日のことのように思われる。
みんなしっかりと大人になってゆく。
うれしくもあり、ちょっと切なくもある。