7月29日

2001-07-29 dimanche

スイスのバーゼルにいる吉国さんという方からメールがきた。
この方は東京都立日比谷高校の私の同期の人である。名前は存じ上げていたが、在学中に個人的に話したことはたぶんないと思う。
どうしてその方からメールが来たかというと、思いがけないことであった。
つい先日も書くたけれど、高校の同期に新井啓右(あらい・けいすけ)君というスーパー秀才がいた。いずれ日本を代表する国際的な政治学者になるものと期待されていたが、東大の助手だったときに論文執筆中に急死したのである。
吉国さんは某夜ネットサーフィンをしているうちに、ふと新井君のことを思い出し、「あの偉大な個性が世間に知られずに埋もれてしまっていいものだろうか」との義憤にかられ、どこかに彼の記録が残っていないかと Yahoo! の検索エンジンで照会した結果、私のホームページにたどりついたのである。(私も検索エンジンで照会してみたのだが、新井啓右くんについてのインターネット上の情報は私の日記に3回登場するだけであった。それも「モアイ像のように頭がでかい」とか、ぜんぜん故人の業績と関係ないことしか書いてない。)
新井啓右くんや久保山裕司くんのような、著書や作品を残していない逸材の事績については知友が回想をつうじて語り継いでゆく他に集団的記憶にとどめてゆく手段がない。
私がホームページを始めようと思った最初の動機の一つは「すでに失われてしまったものについての集団的記憶装置」としてインターネットが使えないかということであった。(もう消去されて残っていないが、最初の日記に私はこのホームページ開設の目標のひとつに「いまはなき SF ファンジン『コアセルヴェート』のネット上での覆刻」を掲げていた。)
時と共に記憶は薄れ、断片化してゆく。
私は新井君についてしだいに薄れゆく断片的な記憶をとどめている。メールをくださった吉国さんは私の知らない彼の相貌を記憶している。橋本昇二くんや塩谷安男くんや小口勝司くんや吉田城くんは、また別の記憶をたいせつに抱き続けているだろう。
人々がそうやって保持した記憶をそれぞれの仕方でネット上にデポジットしてゆけば、やがてそこに亡き新井君についての記憶の巨大なアーカイヴが形成される可能性がある。
伽藍が崩壊したあと、その破片を聖遺物として人々は家に持ち帰りる。その工程を逆にしてみるように、人一人が個人的記憶の中に退蔵していた断片化した記憶の破片をすこしずつ持ち寄ってネット上に積み上げてゆけば、失われた伽藍が再建できるのではないだろうか。
私はそんなことを漠然と考えている。
スイスの吉国さんは私のホームページを読むうちに不意に連合赤軍でリンチ死した山崎順との生前の会話の記憶が蘇ってきたと書き送ってきた。
山崎くんもまたあまりにもはやく失われた逸材の一人だ。そして、彼の名がいつも同一の政治史的文脈の中でしか回想されないことに哀しみを感じている友人たちは少なくない。
山崎くんや東大時代の友人だった金築寛くんの政治的な死を無駄なものにさせないためには、彼らが何を求め、何に抗い、何に殺されたのかということをいつまでも問い続け、それについて語り続けるという以外の方法を私は思いつかない。
それを私自身は死者への忠誠であり、「供養」だと思っている。
山形浩生はホームページが「ヴァーチャル墓場」になり、そこへのアクセスが「供養」になる可能性について書いている。(『新教養主義宣言』)
ホームページをつくっていた人間が死んだ場合(たとえば私が死んだ場合)、そのあとホームページはどうなるのか。誰かがそれを保存しようとした場合、どうなるのか。山形はこんなふうに予測している。

「消すに消せないページが増え、その一方でそれらのページは、それ自体は古びることもなく生前と同じ姿を永遠に保ち続けるものの、そこへのリンクは失われ、そこからのリンクもだんだん消え、やがて無縁仏ならぬ無縁ページと化す。われわれはたまにそれを悼むようにして訪れることになるであろう。/本人の死後も、公の場所で残り続け、個人の情報を発信し続けるホームページ。それはいわば墓のような存在である。(...) それは今の墓参りよりはるかにビビッドでリアルな、そして個人的でひめやかな体験となるだろう。(...) そこには死者と生者の感情がからみつき、独特の世界をつくりあげるだろう。」

私はこの予測はかなり正確にインターネットの未来を言い当てていると思う。「死者と生者の感情がからみつく」ような幽冥境界線上での対話。
死者が同時に隣人でもあるような生活。
そういうのも悪くないと私は思う。
そろそろ「お盆」だし。