7月28日

2001-07-28 samedi

今日は大学のオープンキャンパスというのがあって、そこで私は「ミニ講義」というものをやることになっている。高校生のみなさんを前にして、「大学の授業というのは、こんな感じです」というのをご紹介するイベントである。
本当はゼミの連中を集めて、実際にわいわい議論しているところを見せるのが「実状」を知って頂く上ではいちばんいいのだろうけれど、うちの場合、ゼミとゼミコンパはあまり見分けがつかないという状態なので、いささか外聞がよろしくない。
仕方がないので、『映画身体論入門』という短い講義を一つやることにした。
リュミエールとメリエスから始めて、『ドラゴン怒りの鉄拳』と『悪魔のいけにえ』でしめるというものだが、4年ほど前に「公開講座」でいちどご披露した「芸」である。そのあと、ロング・ヴァージョンを「映画的身体論」という論文にまとめた。この論文は『映画は死んだ』に収録されている。
しかし考えてみたら、『ドラゴン』も『悪魔』もいまの高校生からしたら、「大昔の映画」という点では『列車の到着』や『月世界旅行』と変わらないのかもしれない。

「ブルース・リーって誰ですか?」
「トビー・フーパーって誰ですか?」

ううむ、その可能性を吟味し忘れていたよ。
高校生全員が静かに寝息を立てている前で、頭から湯気を立てながら、私が「ああ、ブルース・リーのこのしなるような身体の動き・・・素晴らしいですねえ。おおお、レザー・フェイスが出ましたよ。ゴチン。あああ、痛そうですねえ」と一人で感極まっているいるという悲惨な情景がいまから想像できる。(といっているうちにミニ講義も終わってしまった。ずいぶん大勢の人が来ていた。両親もたくさん来ていた。例年より集まりはよいらしい。みんな、さいごまで怒らずに聞いていた。やれやれ、よかった。)

Amazon Video

鈴木先生からスラヴォイ・ジジェクの Everything you always wanted to know about Lacan but were afraid to ask Hitchcock. が送られてくる。原題は「ラカンにいつか聞こう聞こうと思っていたけれど、ついヒッチコックにききそびれてしまったいろいろなこと」。
仏語版の訳は『ヒッチコックによるラカン』という題で露崎俊和さん他の訳でトレヴィルという本屋さんから94年に出ている。(この本はほんとうに面白かった。)
英語版は仏語版とは内容がだいぶ違っているというので、私と鈴木先生(精神分析の専門家とバカ映画好きのコンビ)で違うヴァージョンをご披露しようという企画なのである。
私はいま仕事をどかどか抱えていて、破滅的に忙しく、この上翻訳をもう一つ引き受けるというのは自殺行為に等しいのであるが、鈴木先生との「共訳」という美味しいプロジェクトについふらふらと魔が差してしまったのである。許して下さい中根さん。

というわけで、前期最後のおつとめも終わった。
いよいよ明日から私の「アカデミック・ハイ」な夏休みが始まる。さあ、仕事だ仕事だ。