鈴木晶先生の日記を読んでいたら、私が先日の日記で言及したクラスメートの故・佐々木陽太郎くんが鈴木先生のお知り合いでもあったということが分かった。
What a small world.
というより、鈴木先生も書かれているように、私と鈴木先生が長い間ずいぶん近くを歩いきていながら、ずっとそれに気づかず来たということなだろう。
癌で夭逝した佐々木くんのお葬式は池袋の近くの葬儀場であった。(私と鈴木先生は二人ともそれと知らずにそのささやかな葬儀に参列していたのである。)
私は久保山裕司君や伊藤茂敏君といっしょに葬列に加わった。
帰りに池袋でひさしぶりに会うLIII9Dの級友たちとご飯を食べた。
そのあとどうしたのか覚えていない。たしか麻雀好きの佐々木くんを偲んで、みんなで追悼麻雀をしないかと私が提案したのだが、同調者が四人得られず、そのまま流れ解散してしまったような気がする。
そのころは、みんなサラリーマンとして脂が乗っているころで、「いや、このあとも仕事が・・・」みたいな感じだった。いまなら、全員、そのまま昼酒を呷り、よしなき昔話をしながら、麻雀しただろう。知命を過ぎると、「わし、もー、どーでもえーけんね」的ななげやりな気分が横溢してきて、私としては、そういうほうが好きだ。
佐々木くんの遺稿はそのあと友人たちの努力で私家版の『パスカルとサド』という本にまとめられた。その本はいまでも研究室の書棚にある。
以前、同僚の浜下昌宏先生が私の書棚を見て、「おや、内田さん、佐々木君の本持ってますね」と驚かれたことがあった。浜下先生は大学院のころに佐々木君と交友があったそうだ。その異才と夭逝を浜下先生も深く悼んでいたのである。
どうして才能の豊かな人間は早く死んでしまうのだろう。
私が知る限りもっとも頭脳明晰な少年であった新井啓右君は27歳で東大法学部の助教授に昇任する直前に心不全で急逝した。「不整合世界の住人」佐々木 "とんぺー" 陽太郎君は39歳、大腸癌で。私が大学時代にいちばん深く影響を受けた詩人哲学者久保山裕司君は享年47歳、骨髄の癌だった。
佐々木君は著書を残したが、新井君と久保山君はまとまった書き物を残していない。
だから、彼らの豊かな稟質は友人たちによる回想を通じてしか語り継がれることがないのである。
今年も「法事」の季節が近づいた。
あと3週間ほどで「久保山裕司メモリアル・キャンプ」がある。夭逝した親友を偲んで、彼の愛した中禅寺湖畔でおじさんたちが「難民キャンプ」をするのである。久保山君の好きだったバーボン・ウィスキーを今年も持っていこう。
(2001-07-27 00:00)