7月25日

2001-07-25 mercredi

小泉首相の「痛みを伴う構造改革」というのは、具体的には足腰の弱い業界から順番に失業者が送り出されてゆくということである。製造業はだいぶ前からリストラが始まっていたが、ゼネコン、金融、流通あたりからも続々と失業者が流れ出している。
もちろん大学もそのような世間の動きの圏外にあるわけではない。
大学のお得意さまは「お子さまたち」である。「お子さまたち」は構造改革なんかへのかっぱであろうが、「お子さまたち」の学費を捻出する「保護者のみなさま」はそうはいかない。親御さんが生計に窮するようになれば、教育費にまわす金はない。
受験料収入と授業料収入が減少すれば、大学としては支出を切りつめる他ない。
大学教員のリストラはいよいよ来年あたりから各地で本格化すると私は見ている。
すでに私立大学の3割が学科によって定員割れを起こしている。国公立大学では独立行政法人化を視野に、大学同士の統合の動きが始まっている。(筑波大学と図書館情報大学につづいて、神戸大学と神戸商船大学が統合されることになった。)
そのような大学構造改革の徴候として、専任の大学教員の「転職」がここ二三年、にわかに激しくなっている。「やばそう」な大学からのがれて、経営基盤のより確かな大学に移ろうとし始めているのである。
伝え聞くところでは、ずいぶんと偉い先生がた(その大学の教育研究と行政のおそらくは中核的な存在であろうお方たち)までが続々とよその大学の公募にアプライし始めている。
船で言えば、「一等航海士」とか「機関長」という格の方々が乗員乗客を置いて「救命ボート」に乗り込もうとしているのである。こういう人たちが抜けたらその大学はどうなってしまうのだろうと心配であるが、おそらく、立場上、そのような先生たちのほうが、自分の大学の先行きについて情報を十分に持っていて、「逃げ支度」において一般教員よりもアドヴァンテージがあるのであろう。切ない話である。
仮に、小泉構造改革が成功して経済が回復し、数年後に親御さんの懐がふたたび暖かくなっても、18歳人口が増えるわけではない。大学の構造的な危機はまだ続く。ただし、10年もすれば、淘汰される大学は淘汰されしまって、大学の数が減っているので、需給関係がふたたび安定するものと予想されている。だから、とりあえず2011年までサバイバルすることが大学の急務なのである。

いまの大学のあり方は、10年前の「予備校・冬の時代」とよく似ている。
当時、浪人生の激減に伴って、中小の予備校は次々と廃校の憂き目に遭い、生き残ったところは「御三家」(駿台、代ゼミ、河合塾)に系列化された。
同じようなことが私立大学についても起こる可能性があると私は見ている。
経営基盤の弱い大学が「居抜き」で買われて、「慶応大学・大阪分校」とか「日大芸術学部・神戸校舎」とかに看板を付け替えるのである。
もとからいた教員はどうなるのかよく分からないが、あるいは駐車場係とか掃除夫とかで雇用確保されるのかもしれない。

本学はとりあえず単年度黒字で回っているし、特徴のある教育内容で知られているから、いきなり再編の波に呑み込まれることはないだろうとみんな思っている。でも私は近年中に(はやければ来年早々に)「あっと驚くような激震」に遭遇することは間違いないと予測している。
私はとりあえず「リストラされた場合」に備えての手を打ち始めている。
いま本学で「リストラされた場合」に備えて、「次の仕事」の準備をしているの教員が何人いるであろうか。
私一人ということはないだろう。
私としては「大学の生き残り」の仕事は、そのような同僚たちと協力してやりたいと思う。
というのは、このような時局において最終的に情勢判断を誤らず、適切な行動がとれるのは、「大学がつぶれたら行き場がなくなる人間」ではなく、「大学がつぶれても何とか喰っていける人間」だからである。(失うものが大きい人間ほど客観的状況判断と主観的願望を取り違える。)
危機的状況にある組織をつぶさないために必要なのは、「組織がつぶれてもあまり困らない」人間たちであって、「組織がつぶれたら困る」人間たちではないのである。皮肉な話だけど。