6月19日

2001-06-19 mardi

先週劉先生のことを書いたら、鹿児島の梁川くんから二度にわたって「ご意見メール」がきた。
私は梁川くんのご意見はいつも最大限の敬意をもって傾聴するようにしている。
ここにご意見をご紹介し、あわせて私の答弁も聞いていただき、この問題についてもう少し立体的な説明を試みてみたいと思う。
まず第一便から

こんちは。梁川です。お元気のことと拝察します。
鹿児島はくそ暑いです。
ところで 6 月 9 日の日記を読んで、どうもよく分からない点がありましたのでメールしました。お叱りでもお小言でもない単なる意見です。それから、いつもながら私は大兄の貴重な時間を奪うつもりはありませんので、返事は気にしないでください。そんな時間があったら、レヴィナス論でも早く仕上げてくださいね。

さて、腑に落ちないのは、「日本は中国に対して間違ったことをした」と認め、「すみませんね」と「日本を代表して謝ること」。これは一続きの行為であり、どれかだけを切り離すわけにはゆかない、と私は考えている。」という箇所です。思わず「ちょっと待ってよ」と突っ込みを入れたくなりました。
大兄がどのくらいのレベルで謝罪ということを考えていらっしゃるのか分かりませんが、「日本を代表して」というのはやはり余計じゃないですか?
以前、西谷さんと加藤典洋がどこかの対談で似たようなことを言っているのを読んで「嫌だな」と感じたことがあるのですが、そもそも任意の一個人が「日本を代表して」誤るなどということが冗談以外の形でありうるのでしょうか。私にはわかりません。大兄は具体的にどういう場面を想像していらっしゃるのですか。
私はたとえ相手がチョムスキーであったとしても、もし彼が「アメリカを代表して謝る」などと言ったら腹を抱えて笑い出だすでしょう。
こういう感覚、変ですか?

私はこれに対して、こんなご返事をしたためた。

梁川さま

中国や韓国や台湾や、その他もろもろのアジアの「かつての被占領国」のみなさんが、私たちにどういう対応を求めているのか私にも「正解」は分かりません。(おそらく「正解」はないのでしょう。)
先日話した劉先生は、ご自身が「中国人民」を代表して語っていたので、(まさにそのような言葉遣いで)私としても「日本国民」を代表してそれに応接するのが「話の筋」だろうと思ったのです。
もちろん権利問題としては、劉さん個人が10億の人を代表できるはずもないし、私が1億2千万を代表できるはずもないので、実際には劉さん個人と内田個人が向き合っているにすぎないわけです。でも、、歴史的な文脈はふたりの個人が「国民を代表する」ような「擬制」の有効性を示唆しているような気がしたのです。つまり、そのような「擬制」を媒介することで、劉個人と内田個人のあいだのコミュニケーションがより「有意」なものになったのかどうかで、応接の巧拙を判断するほかありません。
私たちはさまざまな場面でそのつどある種の集団を「代表する」ことになります。(家族であるとか、帰属する大学であるとか、仏文業界でるとか、兵庫県であるとか、地球であるとか・・・)おそらくそのおきにだいじなのは、帰属集団の範囲の切り取り方が、状況的に適切かどうか、ということだと思います。
私が切り取った「代表」範囲の設定が「状況的に適切であった」かどうかはとりあえずいまの段階では私にも分かりません。
でもとりあえず、その場その場で直観に任せてやるしかないかなあというのが実感です。
梁川くんのいう「根本的な問題」、つまり日中関係を根源的な仕方で変容させるような国際政治的な問題に、私たちは「直接」触れることはできません。
例えば田中角栄は日中関係を劇的な仕方で好転させた政治家でしたが、新潟三区で彼に投票した有権者のなかで、直前の総選挙で、日中関係の改善を託して彼に一票を投じたものはおそらく存在しなかったでしょう。
私たちには、(テロリズムを除いては)直接外交関係に影響を及ぼすような政治的回路は制度的には準備されていないように思います。
私たちが「触れる」ことができるのは、いま目の前にいる一人の外国人であり、その人とどんなふうに意志疎通のできる回路を組み立てることができるだろうか、というレヴェルで考えるのは、それなりに緊急なことだと思います。
「ま、ここは勘弁」というようなことを個人がいくら言っても国家関係には何の影響もないのかもしれません。でも、「グラスルーツ」の個人的つながりがいつのまにか両国民のあいだに及ぼす心理的影響というのは、存外あなどれないというふうに私は思っています。
どうでしょう?

これに対してさらに梁川くんから次のようなご意見がよせられた。

言うまでもないことですが、私は大兄のホームページのサポーターのひとりです。
つまり、きわめて善意にあふれる読者であり(本当かいな)、大兄を応援する以外の目的でそのページをクリックすることはありません。
しかしサポーターにはまた、本来通るはずの小野や中田のパスが通らなかったときには、野次や檄を飛ばしていち早く声をあげる権利があります(よね?)。というわけで、今回も普段とプレースタイルがちょっと違うなと思ったので、少々野次を飛ばした次第です。

たとえば、私はご高著に収録されている「愛国心について」で大兄が語っていたことには全面的に賛成しています。つまり国民と国家との関係は「ねじれて」いて当たり前だということです。なのにそのご当人が「『日本は中国に対して間違ったことをした』と認め、『すみませんね』と『日本を代表して謝ること』。これは一続きの行為であり、どれかだけを切り離すわけにはゆかない、と私は考えている。」と言うのは、まるで「おい、てめーら君が代を歌わんかい、おら」と言っているような気がして、変じゃないかと思ったのです。まあ、あくまでも意識の問題ですけどね。
国家と国家が対峙する公の場においてなら「日本を代表する謝罪」ということが当然行われなければならないでしょう。でも個人と個人の出会いにおいては、何も国家と国家の関係を擬態したりせずに、その「ねじれ」を素直に出せばいいと私は思うのです。
「ほんと日本って困るよね。でもこれがおいらの国なんだよね。俺はすまないと謝りたいんだけど、俺の国は謝らない。しょーがないよね。なんでおいらたちの声ってこうお国と遠いんだろうね。とほほ」とかなんとか言っていた方が大兄らしいと私は思ったのです(実際私はうちの大学の中国人教師や中国からの留学生にはそうしています)。でも、御返事を拝読して「日本を代表して」がそれほど強い意味ではなかったと納得したので、この問題はもういいです。

ところで、私が「日本を代表する」云々という感覚に違和感を覚えるのにはそれなりの理由があります。ご承知のように、私は生まれこそたまたま東京でしたが、育ちは北海道、いまは鹿児島です。いわば日本の周縁を渡り歩いている人間です。しかも人生最初の記憶はオーストラリアで、日本に「来た」ときの「嫌な」気持ちはいまだに忘れることができません。白樺と原生林が点在する大地で、キリスト教徒として育てられ、神社やお寺が「日本的」と教えられたときの「嫌悪感」もまた忘れることができません。日本史の試験で京都のお寺の名前を答える問題を、「ふざけるな」と全部空欄で出したこともあります。白砂青松富士日輪など私にとって最も縁遠い風景です。能も歌舞伎も、私にとって「日本的」ではありません。チャンバラ映画や時代劇を最初から最後まで通して見たことは、数回しかありません。演歌や浪花節が聞こえてくると頭痛がして耳を塞ぎたくなります。私にとって「日本的な」ものは、(おそらく日本語を例外として)ほとんどこの国で(あるいはこの国を訪れる外国人にとって)公式に「日本的」とされているものではありません。
こうした話はあまりしたことがありませんが、日本人を装わねばならない面倒くささは、おそらく大兄よりもかなり頻繁に感じていると思います。この感覚は、普段はなかなか口に出して言えないものだけに、なおさら厄介です。ただ、自分が絶対に日本の「表街道」を歩けない人間であるという諦めは、物心ついた頃からいつももっています。(余談ですが、梅原某などを見ていると、痛切にそう感じますね。うんざりします。)
なるほど国家と国民の関係はねじれています。しかしその「ねじれ」の度合いはひとさまざまです。たぶん日本国籍をとった在日の人、あるいは自分が琉球王国の末裔だと思っている沖縄の人、等々は、おそらく「日本を代表して」という気持ちにはなかなかなれないでしょう。私もまたほとんど身体的に「勘弁してくれ」という気持ちになります。これは本当に率直な気持ちの問題で、理念ではありません。思考以前の身体的な拒絶反応です。これを変えろと言うのは、ほとんどホモにヘテロになれと言うようなものでしょう。(中略)
廃県置藩や道州制の導入が検討され、地方分権が本格的に日程にのぼってきたいま、こうした「ねじれ」の多元性にはもっともっと注意が払われていいと思いますね。「『ねじれ』の多元性にもっと市民権を」と言いたいです。「国民国家」に代わり得るより有効な機制は、「自分はどうしても日本を代表しきれないのですけど」と言う人たちが、お互いに率直に胸のうちを明かし合えるとき、はじめて生まれてくるものではないか、と私は思います。

あいかわらず怜悧な梁川学兄のご指摘である。
おっしゃることの多くについて私に異論はない。そして、そのほとんどは、語調が少し違うだけで、まさに私が「言いたいこと」そのものである。そして、彼が私の議論の「わかりにくさ」や「噛み砕きいにくさ」として指摘する論点は、たしかに「たいへんに理解してもらいにくいこと」である。なるほど、このへんが「納得いかねーぞ」か、ということを梁川くんに教えていただいた。
ご指摘を奇貨として、その「わかりにくい」論点について、もう少しご理解を深めていただくべく、さらに説明を補うことにしたい。

私が国民国家について考えるときの一番基本にあるのは、「国民国家という政治単位を無害化するために、どんな方法があるのか?」という問いである。
国民国家という概念は政治を考えるときの基礎的な操作単位でありつづけるべきではない、と私は考えている。国民国家よりも「大きな」単位や、「小さな」単位をアドホックに基準にとって、政治プロセスの分析や予見を行うことがいずれ政治学を領する「常識」になるだろうし、なるべきだ、と私は考えている。
そのような見通しにおいて、私と梁川くんはたぶんあまり隔たっていないはずである。
分岐するとしたら、たぶんその先の、ではどのようにして「国民国家を無害化するか?」という問いへの答え方においてであろう。
私はそれを「国民主体が、国民国家の武装解除に同意署名をする」ような営みとして構想している。
つまり、国民国家の無害化のためには、おのれの有害性の解消を宣言するような「主体」がまず立ち上げられなくてはならない、というふうに私は考えているのである。
「私はその歴史的使命を終えた」という宣言に正統性を与えるためにはそう宣言できる「私」がいなくてはならない。それは、日本国憲法の制定のために、大日本帝国憲法の国会法に基づいて帝国議会が召集されたり、第三共和制の終焉を宣言し、ペタン元帥に全権を委譲するために共和制最後の国民議会が召集されるのと似ている。
ある制度を終わらせるためには、誰かがその制度の「最後の主体」というめんどうな役割を引き受けなければならない。私はそう考えている。
これについて私は以前に「戦争論の構造」にこう書いた。

「私たちはこれまでアメリカの世界戦略への『従属』や『抵抗』、英霊の『鎮魂』や戦争被害者への『償い』について語りながら、そこで従属したり、抵抗したり、鎮魂したり、保証したりする『主体』とはそもそも『誰』のことなのか、という根本的問題をネグレクトしてきた。」

戦後日本の場合であれば、保守派は「アメリカの世界戦略をどうサポートするか」というかたちで革新派は「アメリカの世界戦略をどう妨害するか」というかたちで、改憲派は「靖国の英霊をどう慰霊するか」というかたちで、護憲派は「アジアの死者をどう償うか」というかたちで、それぞれに「すっきりした」問いを立ててきた。
その絶妙の「分業」こそ戦後日本が採用した「ねじれ」の処理法である。
対立する二つのイデオロギー、二つの陣営の矛盾のうちにすべてを流し込み、そのああいだには対話も和解も妥協も「ありえない」と宣言することによって、日本は根本的な「ねじれ」を解消しないまま戦後半世紀をやり過ごしてきたのである。
「アジアの人民への謝罪」を呼号する知識人と、「失言」を繰り返す政治家は絶妙の「二人芝居」を演じ分けている。そこには少しの「ねじれ」もない。
個人的な経験で言うと、この「二人芝居」がうまいのは、「警察官」と「ヤクザ」である。
「警察官の取り調べ」と「ヤクザの恐喝」は非常によく似た構造を持っている。(このホームページの読者にその両方を経験した方がどれほどいるか分からないが)
彼らはふつう「二人ペア」で登場する。
そして、一人が「こら、われ、なめたらあかんど!」とあたまごなしにどなりつけ、一人が「そんなに大きい声出しよるから、このお兄ちゃんびっくりしとるがな。ま、兄ちゃん、気ぃ悪うせんといてや」というふうに「懐柔」に出るのである。
そして、この「懐柔派」の方につい心を許して、「どないでしょ、あちらの方あんなふうにおっしゃってますけど、なんとかなりませんか?」と和解のためのネゴシエーションの回路を立ち上げようとしたその瞬間に、さきほどまでにこにこしていた「懐柔派」のおっさんその人が表情を一変させて、「何甘えたことほたえとるんや。こら、殺されっど、われ」と凄み、「恫喝派」だったはずのあんちゃんが今度は「ま、ええがな。そこまでいわんと」と助け船を出すのである。
この絶妙の「役割交換」による「二人芝居」を前にして、「被害者」は、ゆっくりとカフカ的不条理のうちに沈み込み、やがて自尊心と判断力を失い、彼らの「いうがまま」になってゆくのである。
経験されたことのある人にはよく分かるであろう。
私が言っているのは、アジア諸国や欧米諸国から見たとき、私たち日本人はこの「ヤクザの二人組」のように見えはしないか、ということである。
「一見すると別の考え方を持って対立しているように見えながら、応答責任の所在がめまぐるしく変化するせいで、結局、まともな対話の相手になる人間がどこにもいない」というフラストレーションを日本と向き合う外国の人々は感じているのではないか、と私は思っているのである。
「ねじれ」というのは、同一人格のなかに矛盾するものが含まれているからこその「ねじれ」であって、違う意見の人たちがそれぞれ自己完結的に混在している状態は「ねじれている」とは言われない。
梁川くんはこう書いていた。

こうした「ねじれ」の多元性にはもっともっと注意が払われていいと思いますね。
「『ねじれ』の多元性にもっと市民権を」と言いたいです。「国民国家」に代わり得るより有効な機制は、「自分はどうしても日本を代表しきれないのですけど」と言う人たちが、お互いに率直に胸のうちを明かし合えるとき、はじめて生まれてくるものではないか、と私は思います。

「日本人ひとりひとりが日本を代表する権利と責任を自覚すべきだ」というなんとも気の重い私のもの言いに対する梁川くんの「身体的な拒否反応」は私にはよく分かる。
しかし、私がそんなことを言い募っているのは、そもそも「自分は自分とは意見を異にする人々をも含めて日本を代表するようなことはできないし、する気もない」という人々たちによって支えられてきた「55年体制」に対しての批判としてであったという「ことの経緯」を思い出してほしい。
私の言い方は例によってすごく「規範強制的」だから、「こら、たまらん。勘弁」と言いたくなる梁川くんの気持はよく分かる。よく分かるが、しかし、日本人全員が戦後半世紀「ねじれの多元性」のうちに安んじてきた結果、私たちは袋小路に追い込まれてしまったのではないかという疑念が私の議論のそもそもの初期条件なのである。
私たち全員が国民国家の「主体」として、国民国家そのものの「武装解除の企て」に同意署名をすることができないかぎり、国民国家をめぐる出口のない状況はすこしも変わらないのではないか? これは、加藤典洋の『敗戦後論』のもっとも重要な考想と私がみなして、私が「戦争論の構造」の出発点においた問いかけである。
外部から接近してくる人々に対しては、誰であれ、最初に接触した人が「日本を代表して、交渉相手になる」というような覚悟の持ち方が、いまの日本人には必要だと私は思う。
それは、その人が個人的に日本の政治体制に反対であるとか、文化的伝統に親近感が持てないとか、自分が日本人のようには思えない、といったこととはかかわりなく、必要だと私は思うのである。
カフカの『城』の不条理性は、そこに城があり、城に保護されたり寄生したりして暮らしている人間たちが現にいながら、それらの人々の誰一人、城を代表することができず、Kの抗議や要請や問い合わせに全員が「それに答える権利が自分にはないんです」と哀しげにつきはなす「とりつく島のなさの不快感」に存するのではないか、と私は思う。
私が言っているのは、要するに、日本社会を「反-城」的なものに構築し直そう、日本人のひとりひとりが外国人にとって「とりつく島」になろう、ということに尽くされる。
「どうも日本もこまった国だわ」というのはたしかに私のいつわらざる真情である。
「まったく、国家ではおたがい苦労されられますなあ」と外国のみなさんと肩たたきあってそれで外交万端がうまく整うのであれば、私だってそっちの方がだんぜん気分がいい。
しかし、国民全員が「筑紫哲也」になってしまったとき、全員が「まったくこの国はどうなってしまうのでしょう」と長嘆するようになったとき、「どうもすみません。なんとかします」という人が一人もいなくなってしまったとき、その国は、外国からはたして「主権国家」として認知されるだろうか、ということを私は気にしているのである。
誰かが「どうもすみません」という苦役をすすんで引き受けないかぎり、そんなつまらない役は誰もやらない。
誰もやらないけれど、誰かがやらなくてはいけない仕事があれば、そのときは、「私」がやるほかない。それが「大人の常識」であると私は思っている。

どうでしょう。梁川くん。「そんなのどこの常識なんですか?」と言われそうですけど、うちの老師の教えはそうなんですよ。