6月9日

2001-06-09 samedi

昨日は総文の「新歓コンパ」である。
総文の「新人」は英文から移籍してきた三杉圭子・難波江和英・渡部充のお三方と、広州からの客員研究員の劉先生である。
なぜ英文から3名の先生が総文に移籍することになったかについては、長く複雑ないきさつがある。
私はその「長く複雑ないきさつ」のはじめから最後までを見届けた当の本人なのであるが、それはあまりに「長く複雑ないきさつ」であるために、いったいそれがどういう「いきさつ」であったかをいまや思い出すことができないほどである。
しかし、そうもいってられないので、同じく、その移籍交渉の当事者でもあったウエノ先生に、「ねえ、先生、そもそもどういう理由でこのお三方は総文に移ることになったんでしたっけ?」と先日訊ねたのである。
すると、驚くべきことに、ウエノ先生も「え?」と絶句したまま、「どうしてだっけ?」と私に反対にご下問されたのであった。
そのウエノ先生はどうやら昨日はそのいきさつを思い出されたらしく、新人紹介の席で「これはマリナーズがイチローを、メッツが新庄を、無料で手に入れたようなものです」というご説明をされていた。
なるほど、そういうことであったのか。みんな納得してにこにこしていたが、なぜオリックスと阪神が両選手を無料で放出したのかについての謎はウチダ的には深まるばかりであった。
ま、それはさておき。

劉先生からはなかなか痛烈なお話を聞いた。
現代中国の一般庶民の感覚からして、どうしても理解できないのは、「なぜ、日本は中国侵略について、公式な謝罪をしないのか」ということと、「なぜ戦犯を合祀している靖国神社に政治家たちは参拝するのか」ということであった。
その理由を聞かれても私にだって説明できない。
だまって「どうもすみません」とうなだれるほかにない。
うちのゼミのある学生が、先日のゼミで、海外旅行で中国人に会うたびに、「なぜ日本は南京虐殺の犯罪性を過小評価しようとするのか・・・」「なぜ歴史教科書で自国の戦争犯罪を正当化するのか・・・」という詰問を繰り返し投げつけられて、いい加減うんざりしてきた、という話をしていた。
学生さんの個人的な感触のレヴェルでは、「中国人って、日本人をみれば、叱責するばっかり・・・」という「不快感」がしだいに醸成されている、という危険な現実がある。
これは、たしかに、感覚的には分かる。
「日本人だから」という理由で、日本の政治史のすべての問題点について、有責であるかのように遇されるのは、彼女たちからすればたまったものではあるまい。
そもそも、彼女たちが「選挙権」を得たのはほんの一年くらい前なんだから。
そして、おそらく彼女たちは、それまでもこれからも「南京虐殺を正当化する政治家」や「靖国神社公式参拝を断行する」政治家に投票なんかするはずないのである。
自分の政治的意見を参政権を通じて行使することのできなかった時期の政治的行動について、そして、自分がそれに対して反対であるところの政策について、「日本人だから」という括り方で問責される、というのは彼女たちからすれば「不条理」な経験だろう。
かつて毛沢東は中国人が憎むべきなのは「日本軍国主義」というイデオロギーであり、「日本人民」ではない、という「イデオロギー」と「生活者」のあいだの水準差について語り、日中両国の人々のあいだの友好の基礎を築くことに成功した。
しかし、これは中国人が口にすることは許されるが、日本人が口にすることは許されないようなタイプの「説明」である。
私たちは、やはり劉先生が「代表する」中国人民の訴えの前には、日本人を「代表して」静かに頭を垂れて「すみません」と謝罪する他にとるべきみちはないと思う。
国民国家というものは、そのような「擬制」である、と私は思っている。
私が現に菊の紋章の入ったパスポートを使っているかぎり、日本政府が私たちに提供する国家的なサービスの恩恵を蒙っている限り、私は公式行事では「君が代」を唱和し、「日の丸」に敬礼する。それは「擬制としての国民国家」を私が「利用」していることへの私なりの「支払い」である。すこしも心楽しくはないが、しかたがない。
国家を相手にして「いつもにこにこ」しているわけにはゆかないし、そのような関係を国家とのあいだに取り結べるなどと考えている人間がいたとしたら、そいつはバカである。
だからといって、「国家とおいらはかんけーねーよ」と言うわけにはゆかない。
言うわけに行くひともいるのであろうし、その人にはその人なりの堂々たる言い分もあるだろうが、私には言えない。
私は日本という国家の逃れられない「共犯者」である。
私はあきらかに国家からの「恩恵」を被っているからだ。多少はひどいめにも遭っているが、トータルでは、「私が国家に奉仕した分より、かなり多めに私の方が国家から恩恵を受けている」ことについては確信がある。
劉先生にとっても、私の場合と同じく、中国という国家は「擬制」である。
劉先生は、中国共産党の腐敗にきびしく批判的であったし、官僚の汚職や、沿海部と内陸部の経済格差についても悩みが深かった。しかし、それにもかかわらず、「その歴史的使命を終えつつある中国共産党」や「先の見えない資本市場化」を「込み」で、「中国」という国を「代表」して、発言していたからである。
いったん国外に出た以上、国家の「罪」を含めて、それについて「代表」して説明し、弁明し、将来の方向について約束する責任が国民一人一人にある、というのが劉先生の「常識」である。
私はこの「常識」は健全であると思う。
そして、この「常識」から出発する以外にはないだろうと思う。
このような「常識」に依拠するかぎり、どこまで行っても、結果的には「国民国家」という19世紀的な枠組みを追認し、場合によっては強化するばかりだぞ、というご批判もあるだろう。
だとしても、「国民国家」がつくった「借金」は、「国民国家」の「通貨」で支払う他ないのではないか。
それを払い終わってようやく、「ね、もう国民国家とかいう枠組みで取引するの、やめない?」という「次のステップ」に私たちは進めるのだと思う。
劉先生と話していて感じたのは、中国の人たちも、ある意味ではこんな議論に「うんざりしている」ということであった。
彼らもまた、こんな議論の水準からはいいかげんに離陸して、もっとリアルで、もっと開放的で、もっと生産的な、「日中の未来」について、語り合いたいのである。
そこに進めないで足踏みしているのは、私たちの側の責任であって、中国の人たちの責任ではない。
そのために必要なことは、不条理なようだが、「自分とは意見を異にする人間たちをも含めた日本」という国を私たち一人一人が、外国人に対しては「代表」するという「苦役」を受け容れることなのである。
そのような「苦役」をあえて引き受ける国民同士のあいだでのみ、「国民国家を止揚する」方途について語り合う機会が生まれるのだと私は思う。
ノーム・チョムスキーはアメリカ政府の外交政策に対して一貫して批判的である。彼はアメリカが他国に対して犯したさまざまな失政や愚行をはげしく罵り続けている。
「アメリカは日本に対しても間違ったことをした」とチョムスキーは力説する。
それによってチョムスキーは国際的な「批判的知性」としての名声を高めている。
けれど、だからといって、ゆきずりの日本人に対して「頭をたれて、すみませんねと謝る」というようなことはチョムスキーはしない。
なぜなら、彼は「自分にはアメリカを代表する義理なんかない」と思っているからだ。(だって、ずっと批判してきたんだから)
私はこういうのはどうかと思う。
どれほど痛烈に自国政府を批判してきたとしても、それでもチョムスキーは「アメリカを代表して謝る」「国民の義務」からは逃れることはできないと私は思う。
「日本は中国に対して間違ったことをした」と認め、「すみませんね」と「日本を代表して謝ること」。
これは一続きの行為であり、どれかだけを切り離すわけにはゆかない、と私は考えている。
それは私が日本政府の施策に個人的に反対であったり、私自身が自民党に投票したことがない、というような事実によっては決して回避できない「国民の義務」だと思う。