6月7日

2001-06-07 jeudi

井上雄彦『バカボンド』を一気読みする。
『スラムダンク』の最初のころにくらべると、絵がずいぶんうまくなった。(なんてプロに向かっていうのは失礼だけど)
『バカボンド』は吉川武蔵の何度目かのマンガ化である。
吉川英治の『宮本武蔵』は、富田常男『姿三四郎』とともに、武道少年少女必読文献である。これを読まずして武道を語ることはできぬ。(合気道部員で読んでないひとはまさかいないよね?)
私は小学校5年生のときに『宮本武蔵』にはまって、以後1年間ほど、あけれもくれても吉川英治ばかり読んでいた時期がある。
そのときは、映画で見た三船敏郎と中村錦之助のイメージが強すぎて、それを振り切って、自分なりの武蔵像を造形するのにずいぶん手間取った覚えがある。(私にとってイメージ的にいちばん近いのは『唐獅子牡丹』のころ、30代なかばの高倉健である。ただし、健さんは中村武蔵のときの佐々木小次郎役。ちなみに三船武蔵の小次郎は鶴田浩二。これはグッドキャスティングでした。)
野性的でかつ求道的なキャラクターというのは、なかなかむずかしいね。
今の人だと誰かな。
個人的には金城武くんなんかいいと思うけど。(ぼさぼさの総髪が似合いそう)生きていたら松田優作か。あ、ということは、キムタクくんにもチャンスはあるな。織田裕二はむりか。

ま、それはさておき。井上『バカボンド』が画期的なのは、主人公が「こども」だということである。
17歳の関ヶ原敗戦から始まって、武者修行の最初のころ(吉岡道場とのトラブルとか、柳生城での大騒ぎとかのころ)は二十歳そこそこなんだから。三船敏郎ではいくらなんでも「おじさん」すぎる。あんな余裕があるはずがない。
これは「コロンブスの卵」であった。
又八も「こども」だし、「おつうさん」も「こども」なのである。
そうなんだ。戦国時代というのは、「こども」が走り回っていた時代なのである。『七人の侍』の勝四郎みたいな「こども」が命がけの修業をつんでやっと大人になる時代なのである。
ひとが二十歳になるかならぬかで、ばたばたと死んでゆくような時代の「こども」は、短期間にもの凄い勢いで「おとな」になる以外に生き延びる術がない。
『バカボンド』は「もの凄い勢いでおとなになる以外に生き延びる道がないこども」を主人公にしたマンガである。
それは人格的成長をとげることによって「豊かな人生を送りましょう」とか、そういう牧歌的な話ではなく、「おとなにならないと、死ぬ」という切実な「ビルドゥングスロマン」なのである。
井上雄彦は『スラムダンク』でも、年齢に比して異常に幼児的な主人公が、その幼児性ゆえに、ありあまる才能をほとんど致命的に損なうところにドラマの縦糸を通していた。
しかし、桜木くんは、いくら「ガキ」でも、せいぜいバスケットチームのレギュラーポジションからはずされたり、試合に負けたりする程度のペナルティしかこうむらない。
それでは、少年読者に対する、「おとなになれ」という井上の強いメッセージは届かない。
だから、井上雄彦は「ガキは死ぬ」という過激な物語に踏み込んだのではないか、と私は思う。

岡野玲子といい井上雄彦といい、どうしてこんなに巨大なスケールと才能をもった人がマンガの世界にはごろごろしているんだろう。(純文学の世界には、まったくいないのに。高橋源ちゃんもいいかげんに泣き言いうのをやめてマンガ家に転向したらどうだろう。)