5月24日

2001-05-24 jeudi

明日の自己評価委員会に備えてどろなわで FD 関係の本を読む。
FD というのは、大学関係者以外はなじみのない術語だろうから解説しますけど、Faculty Development「大学教授団教育資質開発」のことである。(訳しても少しも分かりやすくならないですね。平たく言えば、大学の教師たちの教育のスキルについて「もうちょっとなんとかなりませんか?」ということである。)
FD には 10 年ほどの歴史がある。
1990 年代のはじめに文部省が「大学設置基準の大綱化」に踏み切った。
もちろん、これまたみなさんはご存じあるまいが、それまで「護送船団方式」で大学を一元的に管理してきた文部省が、「規制緩和」の代償として、それぞれの大学に「自己責任・自己統治」を求めた重要なシフトである。
この「規制緩和・自己責任」こそ政官主導によって、現在着々と進行しているあの「構造改革」というものと同根の発想であることはご賢察の通りである。銀行が潰れたり、ゼネコンがこけたりする経済の現状の大学版というふうにご理解いただいてよいだろう。
FD はそのような趨勢の波頭のひとつである。
それは、乱暴に言ってしまえば、「大学教育への市場原理の導入」ということである。
つまり、「クライアントが評価する教育サービスを提供する大学は生き残り、それができない大学は淘汰される」ということである。
え?
そうなんですよ。
実はこれまで大学は「クライアントが評価しなくても」生き残れたんです。
驚きました?
私のような元サラリーマンの視点からすると、これは信じられないほどイージーな商売である。
なにしろ、年度の始めに、まだ何も「商品」を売っていない段階で、代金を全額前納していただいて、「商品」の出来についてのクレームはいっさい受理しない、資金繰りの苦労も在庫も何もない、窮極の「殿様商売」なのである。
注文を受けて、前金をいただいてから「団子」をこねて、食べて「まずいよ」と言われても「うるせえな」ですむ「団子屋」、それが私立大学だったのである。
すごい。
そんなことができたのも、大学商売が実は「団子」(教育サービス)はなく、「団子を食べたことの証明書」(卒業証書)を売っていたからなのだ。
だから、「証明書」が欲しいだけの学生さんに対して、「団子の味がどうこうなんて、野暮はいいっこなしだぜ、お兄ちゃん」で済んでいたのである。
それが 18 歳人口の激減という「思いもかけない事態」(18 年前から分かっていた「思いもかけない事態」って論理矛盾だけど)に遭遇して、全国の大学は「団子屋の生き残り競争」という市場の現実に直面したのである。
どんな場合でも、「現実に直面すること」は「直面しないこと」よりもよいことである。
というわけで、「大学はいかにして市場の淘汰圧に耐えられるか?」という問いを私たち大学人は、明治維新以来はじめて、みずからに向けることになったのである。
その問いへの回答のこころみのひとつが「教員の教育スキルをすこし向上させよう」ということである。
はい、そうなんです。
私たちはこれまで一度として「教員の教育スキルをすこしは向上させよう」と思うことなしに教壇に立ってきたのです。
すみません。
しかし、気を取り直して申し上げますが、というわけで、本学でも今期の自己評価委員会で「教員の教育スキルの向上のための研修プログラムの立ち上げ」とか、「学生の教員評価のネット化」とか、「教育実践の評価を業績査定にカウントする方法」とか、について「議論を始める」ことにしたんです。(プログラムを「立ち上げる」んじゃないですよ。「立ち上げようかどうしようかの議論」を始めるだけです。)
あ、気が遠くなってきた。
私は明日の自己評価委員会で、もちろん「教育的スキルの客観的査定システムの確立」とか「教育評価の昇給への反映」とか「研究業績による研究費の傾斜配分システムの導入」とか、過激な(民間企業だったら「微温的な」)提言をするわけです。
あるいは教員のみなさんの中には「何と! ウチダくんは、大学教育に『勤務考課』を導入しようというのか! 資本主義の走狗か君は! 学問の自由、神聖な大学自治を君は弊履のごとく捨て去ろうというのか!!」というような太古的リアクションをする方もおられるかもしれない。
そのような人に対して、私はいったいどこから話を始めたらよいのであろうか?