私の母は(あまり知られていないが)歌人である。
女流歌人というのは、「家族のこと」をがんがん詠んでしまうので、歌集を読むと、そのひとの家族構成とか家族の職業とか人間性まで分かってしまうことがある。そういう意味では家族にとってはとほほな文芸である。
しかし、芸術は長く人生は短い。母の芸術のためになら、プライヴァシーがどうたらというような寂しいことを私はいわない。
そんな母が先般の山形吟行(じゃないんだけど)の作八首を送ってきた。
私がいちおう選者として二首を選ばせていただいたのでここにご披露したい。
わが知らぬ日の追憶に車止め夫は山を海を見て立つ
祖の墓に手を置けばかすか温みあり古りし世偲ぶ暗き境内
一首目は「車止め」が語感としてややひっかかる。(「くるまどめ」というと、あの不細工な三角形の器具を連想してしまうからね)
二首目は母からのファックスでも最後に載せてあったから、おそらくは自信の一首なのであろう。「K」音がたたみかけるように続くのが快い。
私にとって、今回の山形ツアーでいちばん印象的だったのは、「鼠ヶ関」でほとんど自失したように海を眺めている父の姿と、累代之墓に感じた奇妙な「親しみ深さ」だったので、それをちゃんと詠い込んでしまった母には個人的に拍手を贈りたい。
リュミエール兄弟は「ホームムービー」と撮るためにシネマトグラフを発明し、わが母は「家族の記録」を残すために歌を詠み続けている。なまじ「世界に向けて発信」していない「うちむき」の姿勢からある種のひろがりが生まれるということもある。母上さまにはますますがんばっていただきたいものである。
大学院の演習は舞踊論。私は繰り返し言っているとおり、舞踊のことなんかぜんぜん知らない。だが、知らないことを勉強するのには「教える」のがいちばんであるので、この主題を選んだのである。
7月には鈴木晶先生、小林昌廣先生の連続講演もある。舞踊の批評家として現代を代表するお二人にお越し頂くわけであるから、聴衆があまり初心者でいては申し訳がない。そこで、講演に備えて、少し院生たちに予備知識をと、今日は土方巽のヴィデオを見てから三上賀代さんの『器としての身体』を読むことにしたのである。
土方のヴィデオを見たのはみんなはじめて。衝撃を受けているようすが伝わってくる。
私も土方巽の生前の公演を見たことはない。でもご本人は一度だけ見たことはある。
1967 年の冬に新宿ピットインで状況劇場が『続ジョン・シルバー』をやったときに、私は一人で見に行った。そのとき、私の斜め前の席に長髪をうしろで縛り、どてらを着た髭面の男がすわっていた。その人の発するオーラがただものではないことは 17 歳の私にも分かった。
終演後、唐十郎がそでから飛んできて、その人の隣にすわって「土方先生、いかがでしたか?」とていねいな口調で訊ねたので、その人が噂に聞く土方巽だということが知れた。
私は土方巽と唐十郎という二人の天才が顔を接するようにして語り合うのを眺めながら「おお、これってけっこうお得な経験かも」と思った。そのうち誰かに自慢しようと思っていたが、まさか 34 年後に大学院の演習で大学院生相手に自慢することになるとは神ならぬ身の知る由もなかったのである。
その土方の舞踏論であるが、これが実に面白い。
私の武道技法上の現在の喫緊のテーマは「膝を緩めて使う」ということと「バランスを崩して歩行する」ということに集約されているのであるが、まさにそれが暗黒舞踏の基礎技法そのものなのである。
武道と舞踏のあいだには深い関連があるに違いないという私の着眼は正しかったのである。しかし、この話はいましちゃうと次の演習のネタがばれてしまうので、今日は違う話。
土方巽の舞踏の原型に「死刑囚の歩行」というものがある。それについての土方の説明は次のようなものである。
「断頭台に向かって歩かされている死刑囚は、最後まで生に固執しつつ、すでに死んでいる人間である。生と死の強烈なアンタゴニズムが、この一人の悲惨な人間のうちに極限化され、凝集的に表現される。歩いているのではなく、歩かされている人間、生きているのではなく、生かされている人間、死んでいるのではなく、死なされている人間・・・この完全な受動性には、にもかかわらず、人間的自然の根源的なヴァイタリティが逆説的にあらわれているにちがいない。(…) かかる状態こそ舞踊の原形であり、かかる状態を舞台の上に作り出すことこそ、ぼくの仕事でなければならない。」
これを読んで、私は「おおおお」と思った。
というのは、私たちはごく最近、この「死刑囚の歩み」を強烈な図像的主題にした映画に遭遇したばかりだからである。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』である。
そこでは「歩いているのではなく、歩かされている人間」が、「踊り出して」ミュージカルが始まるという(松下正己がおぞけをふるった)とんでもない展開であったわけであるが、土方の言うように、生と死の拮抗そのものである「死刑囚の歩み」こそが「舞踊の原形」であるというのがほんとうならば、セルマのあのふらつく足取りこそは「暗黒舞踏のヨーロッパ的解釈」だったということになる。
そう言われて見ると、あの不思議なコレオグラフィーが実は「できの悪い暗黒舞踏」だったのだと考えると、あれこれのことが腑に落ちる。(とくに列車の上の労働者たちの変な踊り。あれはデンマーク版「東北歌舞伎計画」である。)
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』についてはずいぶんいろいろな人が論評をしていたけれど、「隠れ暗黒舞踏」だということに気づいた人がはたして何人いたであろうか。
(2001-05-22 00:00)