5月21日

2001-05-21 lundi

土日は合気会広島県支部の春季講習会。
自業自得とはいいながら、5月6月はぜんぜん「週末」というものがない。
来週は全日本合気道演武大会と東大五月祭、その次は下川正謡会大会、その次は多田先生の講習会(本部道場)。その次の6月17日が4月22日以来の「日曜日」である。
そのように自滅的なスケジュールを組んでおきながら、仕事はふえるいっぽう。
今日は半日文部科学省用の作文。あたまがどんどん官僚的になってゆく。
HD をみているうちに、ちらっと「レヴィナス論」のファイルが見えたので、ちょっとひらいてみる。第三章の最後のフレーズで論文が「ぶつん」と切れているのであるが、その続きに何を書こうとして筆をおいたのか、ぜんぜん思い出せない。
自分の書いた文章があまりにむずかしくて、読んでもわかんない。
こ、こまった。
はやくこの「死のロード」を終えて、「研究モード」に戻らないと、『アルジャーノン』になってしまう。
うう、こまった。

こまったついでに。
山形の漬け物屋で買った「小茄子」のみそ漬けがとても美味しい。
その小茄子をかじりながら、斎藤慶典さんの『力と他者』というレヴィナス論を読んでいた。
その本の書評を頼まれたのである。私は書評ではぜったいに悪口を書かない。だって、書評で悪口を書くことによって誰かが幸せになる、ということはありえないからだ。書かれた人はもちろん頭に来るし、読んだ人もいやな気分になるし、書いた当人は『剣呑な野郎だ』と思われて友人をなくす。誰も幸せにならない上に、原稿料さえろくにもらえないのである。それに、他人の書いた本をほめるというのは、なかなか気分のよろしいものである。
まあ、そういうわけで『力と他者』という本をよんでいたのである。(これはよい本である。オススメ)
するとそこにスピノザの用語である「存在する努力」(コナートゥス・エッセンディ)というラテン語がなんども出てくる。
当然のように、私の脳裏には、次の言葉がわんわんと反響したのである。

「存在する小茄子」(コナス・エッセンディ)

だから何なんだと言われても困っちゃうけど。