父から手紙がくる。
私はこの明治生まれのオールドリベラリストの父親にあらゆる意味で頭が上がらない。
頭が上がらないので、私は十代終わりに父のもとから逃走して、それ以来盆と正月くらいにご尊顔を拝し、ご高説を拝聴しては、「ま、父上さま、ご一献」などとはいつくばってご機嫌を伺う、という前近代的父子関係に終始している。
その父からの封書である。うやうやしく一揖して拝読。中身は『ためらいの倫理学』のご講評である。
明治の父親というものは 50 歳の息子に対して、このような手紙を書くのである、という生きた見本のようなお言葉であったので、ここに謹んで再録する。
「(...) 『ためらいの倫理学』、手に入れてすぐにざっと一通り読んだところでは、哲学的な思考径路になかなかついて行けず、なんと難しい表現をするんだろうナ?というような感想をもちました。九十歳の老人の頭の回路は相当錆びついているからね。
興味深く読んだのは戦争論と異邦人についての論考。これは面白く読んだ。
いま二回目に精読しているところです。
もうじき終わりますが、今回は論旨はよくわかる。なかなか正論を吐いているナという実感があります。感心しています。
おやじとおふくろが息子の著作に真面目に取り組んでいるなどというのは近来珍しい佳話ではないですかね。
益々の精進を祈ります。」
ありがたいお言葉である。今回の本はいろいろな人から批評の言葉を頂いたが、父からのこの感想がいちばんうれしかった。
明治生まれの父は「縄文時代」と地続きのような北海道で少年期を送り、満州に出奔し、北京で敗戦を迎え、戦後の混乱期に組合運動にかかわり、会社経営者として高度経済成長期を生き、退職後は日中友好の草の根運動に献身的にかかわってきた、恐ろしく「タフ」な男である。ロシア革命も大恐慌も満州事変も焼跡闇市も血のメーデーも列島改造も石油ショックもぜんぶリアルタイムで経験してきたこの世代の男たちは、あまりに多くの「幻想」の瓦解に立ち会ってきたせいで、骨の髄までリアリストである。
その父に「なかなか正論」と評されるということは、私の思考も、それなりの風雪を経て父の懐疑的な読みに耐えられる水準に達したということである。(まあ、「身びいき」ということもあるから、多少は割り引いても)
増田さんや内浦さんや葉柳さんのような若くスマートな知性に支持されることもうれしいけれど、九十になる父親に「正論」と認知されたことが、私にはとてもうれしかった。
親には長生きしてもらうものである。
ほんとに。
(2001-05-08 00:00)