4月18日

2001-04-18 mercredi

朝日新聞の取材があった。
新聞の取材を受けるというのは生まれてはじめてである。カメラでばしばし写真を撮られながら、学芸部の記者の方のインタビューを受ける。
この記者さんは「著者に会いたい」というコラムを担当されていて「どこかに会いたくなるような著者はいないか」と怪しい本を渉猟していたら、「変わった本ばかり置いてある本屋」で『ためらいの倫理学』と目が合って、ことここに至ったそうである。
ありがたい話である。「変わった本ばかり置いてある本屋さん」ありがとう。
たいへんフレンドリーな取材であったが、調子にのっていろいろしゃべり散らしたので、どんな記事になるのかちょっと心配である。
そのときにその記者の方が『アエラ』にいたころ、フェミニズムに批判的な論調の記事を書いたら、社内外でかなりのバッシングを受けたという話をしてくれた。(この記者は女性である。)
とくに「やさしい男性」からの批判が激しかったとのこと。
「ウチダさんは、こういうことを書いて、いろいろ人から嫌われたり(失礼!)することが多いと思うんですけれど、どうして平気なんですか?」という質問を受けた。
そうきかれて、そういえばどうして私は人から嫌われても平気なのか考えたら理由は簡単だった。

「ぼくはとても愛情豊かな家庭で育てられ、両親と兄から『掌中の珠』のようにかわいがられてきました。そして、幼いときに自分のことをまるごと受け容れてくれる親友に出会い、初恋の人に告白したら、向こうからも『好きよ』といってもらったという、たいへんに『めでたい』こども時代を送ってきたのです。つまり『君はこの世にいてよいんだよ。君はみんなに受け容れられているんだよ』ということを生まれたときからずっときかされて育ってきたので、いまさら『他者からの承認』を受けないと存在感が揺らぐ、というようなことはないのです。それは村上龍や橋本治もいっしょで、周囲からたっぷり愛されて育った子どもはオープンハーテッドで『いくら他人に嫌われても平気』なおとなになるのだと思います。だからマジョリティにくっついていかないと『はじき出される』んじゃないか、というような不安をいだいたことがありません。もしぼく一人がみんなと違う意見でも、『ふーん、違うんだ』と思うだけで、それで困ったり不安になったりすることはぜんぜんないのです。」

そう考えてみると、まったく私の育った環境というのはありがたい家庭であった。「しっかりもののお父さん」「やさしいお母さん」「フレンドリーでクレイジーなお兄ちゃん」に囲まれて、私は思い切りわがままに育てていただいたせいで、このような「はた迷惑ではあるが、本人はすごく気楽な」人格になってしまったのである。私がご迷惑をかけているみなさんにはすまないとは思うが、もう取り返しがつかない。

そのあと合気道と杖道のお稽古を終えて、家にもどり、「てりやきマックバーガー」を囓りながらメールを開いたら、驚いたことに二つの出版社から「お会いして出版についてご相談したい」というオッファーが来ていた。
なんだか急に「人気者」になってしまった。
さっそく『おとぼけ映画批評』を本にするというのはどうでしょうかと図々しい「オッファー返し」をかます。
図々しいのは百も承知の上であるが、こんなチャンスは二度とない。

「なんか売り物ないですか?」
「ほい、あるよ。そこの持ってって! まけとくよ! ふたつで50円!」

商売は気合いである。
これもあれもすべては内浦さんという奇特なエディターの冒険的企画のおかげであり、もとをただせば鳴門のロック少年増田聡さんの過激なコピーのおかげである。そして関係各方面にぐいぐいとプッシュしてくださった鈴木晶先生のおかげであり、はっと目を引く華麗なブックデザインをしてくれた山本浩二画伯のおかげである。
ベランダに出て、鎌倉方面、京都方面、武庫之荘方面および鳴門方面に深々と礼拝をする。印税入ったらこんどは画伯もまじえて「バトル宴会」をやりましょうね。