金曜日に授業がないという時間割はこの11年間ではじめてである。(ずっと金曜日の1限に語学ゼミというコマが入っていた。)
午後は教授会があるので、金曜日というのは、ときによると朝8時半から夜9時まで学校にいないといけない日だったのである。
授業がなくなったので、夕方教授会にだけ行けばいいことになった。
さっそくのんびりとお掃除、洗濯、アイロンかけ。そして講義ノートなどを作る。
ともだちが遊びに来たのでいっしょにお昼を食べに行き「トンカツとラーメン」を食べる。げふ。
その足で教授会に直行。
新学科長の上野先生は「会議は短いのがよい」というたいへんに素晴らしいご意見の持ち主で、午後6時には必ず終わらせると開会宣言をした。
たいへんよいことである。
繰り返し書いているとおり、会議が長引くのは「長く話す人」がマイクを離さないからである。
なぜ「長く話す」かというと、「自分の言っていることの趣旨が聞き手にちゃんと伝わっていない」というふうに感じているからである。
それゆえ委曲をつくし、レトリックの限りを動員して、聴衆の「啓蒙」にこれつとめるのである。
しかるに、その人の意見に対して嵐のような同意の拍手がわき上がらないのは、たいていの場合、聴衆がその意見の内容を「理解できない」からではなく、その意見に「反対」だからである。
人々が自分の意見に「反対」である、という事態はたしかに受け容れにくい。
それを受け容れるためには、自分の意見が「誤っている可能性」を吟味しなければならないからである。
自分が誤っているる可能性を吟味するよりも、「人々は自分の意見を理解できないほどに愚劣である」という解釈を採択するほうが知的負荷ははるかに少ない。
おのれの知的負荷を軽減するために、この人たちはえんえんと語り続ける。
困ったものである。
会議を速く進めるのはむずかしいことではない。
(1)質問・疑義に答弁する場合を除いて、議事一件につき、一人の発言機会は一回に限定する。
(2)一事不再理。(少なくとも過去2年以内に同一機関で採決された案件は蒸し返さない。)
(3)自分が欠席した会議での議決事項について趣旨説明を求めたり、異議を唱えたりすることはしない。(自分で欠席しておいて「私はそんな話は聞いてない」といって会議の席で怒り出す人がいるのである。そりゃ「聞いてない」だろうよ。いなかったんだから。)
この三箇条だけでもきちんと守れば、会議は劇的に短縮されると私は思う。
言い換えると、会議を長くする秘訣は、
「自分が欠席した会議で決定されたことを蒸し返して、ながながとしゃべる」
ことなのである。だが、これを得意技とする人がうちの大学には何人もいるのよね。とほほ。
土曜日は「お稽古三連荘」。
午前中外科で膝の様子を見てもらう。
まだ痛みが引かないので、来週精密検査を受けることになる。
その足をひきずりながら合気道、杖道、能のお稽古。
連続6時間。さすがに、だんだん膝が腫れて痛んでくる。
「むりして稽古することないじゃないですか」
とみなさんおっしゃる。
そうですね。はい。反省してます。
舞囃子のお稽古を終えて家にもどり、お風呂に入り、冷たい白ワインを飲んでようやく「ほっこり」する。
ふう。忙しい一週間でした。
明日はお休み。ゆっくり眠って、それから梅田に買い物。芦屋川で散髪。夜は村上龍の新作でも読もう。
(2001-04-15 00:00)