大学のクラブ紹介がある。
合気道部はもう11回目だから慣れているけれど、杖道会は新入生を「あっ」と驚かすべく、鬼木先生にご登場願う。
私が打太刀、先生が仕杖で、「鍔割」、「一禮」、「乱合」の三本を演武する。
ほんとうは高段者が打太刀をするのであるが、鬼木先生の打太刀は速すぎて、私では杖が遣えないので、無理を言って逆にしてもらうのである。
それでも鬼木先生の「怪鳥」のような気勢に、講堂中の学生は身体をすくめ、私の背中にも冷や汗が流れる。あとは形を間違えて先生に打ち込まれないように体を捌くのに必死で、細部の記憶がない。
学生諸君にも古流、制定の形を遣ってもらう。みんななかなか堂々としている。
わずか創部2年だが、鬼木先生の懇切なご指導のおかげで立派なクラブになった。
新入生たちはどう思ってくれただろう。
それから合気道部の諸君に集まってもらって5月の多田先生講習会の打ち合わせ。
苦節10年。ついに恩師多田宏先生をわが道場にお迎えすることができる。
弟子として、これほど嬉しいことはない。
窓の外の満開の桜を眺めながら、よき師よき友よき弟子たちを私に配して恵んでくださった天意に感謝する。
右膝は整形外科の見立てによると「半月板の軽い損傷」だということである。
膝の骨に変形もみられるという。
「原因は何でしょう?」
とたずねたら
「年齢でしょう」
とあっさり言われた。
あ、そう。
「膝を酷使するようなことしてませんか?」
とも訊かれるが、ほとんど「膝」で商いをしているようなものである。
いずれ二週間くらいで痛みは引きますよと言われて、湿布薬をもらって帰る。
私の身体は「トカゲのような治癒力」を誇っているということはすでに書いたが、それに加えて私の精神は「ワニの無意識」に満たされているので、白衣を着た医者が診察室でレントゲンをみながら、「あ、これは・・・だな」と病名を確定し、治療法を指示た瞬間にほとんど治癒してしまうのである。
橋本治の本を集中的に読む。
私の読書傾向はきわめて偏頗であり、現代の作家で私がまじめに読んでいるのは、村上春樹、村上龍、高橋源一郎、橋本治、矢作俊彦の五人だけである。(と列挙してから、いったいどういう基準で今この五人を並べたのかしら、と考えたら、「物語作家としての才能」についてのウチダ的ランキング順であった。ごめんね矢作君)
私は彼らの書く時評も大好きであり、つねに深い共感をもって読んでいる。
しかし、橋本治の書くものには「共感」というよりむしろ「いずまいをただして聴き入る」というような姿勢をとる。
文体的にはおそらくいちばんひらがなが多くて、「だからさー」とか「で、なんなの」とか、ずいぶん平たい表現で書かれているにもかかわらず、事態の「本質」へ肉薄してゆくときの知性の冴えは、ときに寒気がするほど鋭い。
橋本治の方法は「自分で納得のいかないことは、納得がゆくまで考える」という単純なプリンシプルに貫かれている。
その「納得がゆくまでの思考のプロセス」を橋本はぜんぶ言葉にする。
だから、それはとてつもなく「長い」。
ふつうの人が一行で書いてしまうことを「でも、どうしてそういうことが言えるの?」と橋本は懐疑する。
懐疑すると止まらない。
「当たり前だと思われていることに違和感を覚える。」
「その違和感はどうして自分の内部に発生してきたのかを省察する。」
「それを言葉にする。」
「『当たり前だと思われていること』は『ちっとも当たり前じゃない』ことを論証する。」
それが橋本治の批評のスタイルであり、私はこれは「哲学的知性」のあり方そのものだと信じる。
でも橋本治は「哲学者」というような一般化は笑い飛ばすだろう。
彼は「橋本治」なのだ。
「私が『不自由』を感じるのは、自分とは違う他人の価値体系に侵される時である。
私は『自分とはなんだ?』とか、そういう哲学的な悩みをしたことがない。根本で、自分のことをかけらも疑っていない。『自分が存在している以上、自分は確固としている』-そう考えてなんの不自由もない。
『根本で確固としている自分を展開するために必要なのは、能力の獲得である』としか思っていない。だから私は、とても達成効率がいい。
そういう私の価値観が揺るがされる時はたった一つ。他人にやいのやいのと言われる時だけである。
『俺のどこがおかしいの?』と思って、呆然とする。
違う価値観からの攻撃が激しくなると、自己存亡の危機に立たされる。
自分の根本が確固としているわりには、いとも簡単に『存亡の危機』に立たされてしまったりもするが、それは単純に『数の問題』である。
私は自分の価値観に従って生きているが、『橋本治の価値観』で生きているのは橋本治だけなので、『その価値観はへんだ』という争いになったら、『多勢に無勢』は簡単に実感されて、すぐに負けてしまうのである。」(『さらに、ああでもなく、こうでもなく』)
私はこの箇所を読んだときに「呆然」とした。
「自分が存在している以上、自分は確固としている」というのは哲学的「禁句」である。「それをいったらおしまい」の窮極の「バカ台詞」である。
「自分は存在しているが、その根拠は不確かである」という誠実な告白からプラトン以後のすべての哲学は展開される。そして、「そのような誠実な自己懐疑に基礎づけられているがゆえに、私の価値観はどのような世俗的臆断によっても揺るがないのである」という結論に落ち着くのである。
橋本治の推論はまるでその逆である。
「私の価値観は確固としている。けれどもそれは他人にやいのやいの言われると、容易に揺るがされてしまう。それって、すごく気分が悪い。」と橋本は言う。
おっしゃるとおりである。
私もまた自分の価値観に従って生きているが、『内田樹の価値観』で生きているのは内田樹だけなので、『その価値観はへんだ』という争いになったら、『多勢に無勢』で、すぐに負けてしまうのである。そして、当然にも、負けると非常に気分が悪い。
だから、なんとかこの劣勢を挽回して、「内田樹の価値観」を世間の人々に「承認」してもらうべく、こうやってこりこり文章を書いているわけである。
私も、哲学的な文章を書くときは、「私は私の価値観そのものが制度的に媒介されたものではないかと疑っている」というようなことをマクラに振るが、よく考えてみたら、それは「嘘」であった。
だって、私は自分の価値観を一度だって疑ったことなんかないからである。
「私の価値観そのものが制度的に媒介されたものではないかと疑っている」ことは「たいへんによいことである」というのがそもそも私の価値観なんだから。
「自分の価値観そのものの被媒介性を遡及的に考察できる知性こそ優れた知性であり、それはこの世の何よりも価値がある」と言う私の価値観は一度だって揺らいだことはないし、これからも誰がなんと言おうと揺るがないであろう。
しかるに、その「揺るがぬ確信」はまわりから「やいのやいの」言われると、簡単に「存亡の危機」に立たされる。
そして、そこからの脱出の方位は「多勢に無勢」状況の転覆、すなわち「説得」による「多数派工作」しかないのである。
「説得」と「教化」は違う。
「説得」とは、まず相手に同調して、そこから同調帯域をだんだん拡げて行くことである。抵抗に会えばせこく迂回し、反撃に遭遇すればずるずると撤退する。
「説得」は相手と自分の「異他性」を前提にしたコミュニケーションである。
それに対して、「教化」は「教化される側」に「丸呑み」を求める。
「同化せよ、さもなくば去れ」というのが教化の言説の本質である。
「説得する言葉」と「教化する言葉」は少し似ている。
だから若い読者の中には、それを混同してしまう人もいるかも知れない。
でも、その違いを見きわめるコツはある。
それは、言葉の中に「読者に対する敬意」が含まれているのかどうかを見ればよいのである。
落ち着いて考えれば、自分が「表敬」されているのか、「威圧」されているのかは、誰にでも分かるはずだ。自分が「賓客」として遇されているのか、「手下」になることを求められているのか分かるはずだ。
橋本治の文章は私をつねに暖かい気持にしてくれるけれど、それは彼が四方からの旅人に扉を開いている、「歓待の幕屋」の主だからである。
(2001-04-08 00:00)