いきなり「破滅的な」忙しさのなかに突入。
忙しさの原因の第一は大学院博士後期課程の申請書類の準備。
文部科学省に出す書類なので、フォーマットと前例を参照しながら、作文をする。作文だけならいいのだが、みなさんから集められたさまざまのドキュメントの整理と、その欠落箇所の修正が大仕事である。
ほんとうはこれだけに専従の職員が必要な仕事なのだが、4月に人事異動があって、担当者がいなくなってしまい、仕事の続きを知っている私のところにどんどんどんどん書類が回ってくる羽目になった。
おかげで連日十時過ぎまで大学で残業である。
加えて、5月には合気道会創立10周年の大イベントがある。
東京から多田先生をお迎えするのである。
苦節10年、ついにお師匠さまをお迎えする日がきた。
案内状を発送し、先生の新幹線のチケットを買いに走り、懇親会、記念品、講習会の段取りその他の準備でだんだん殺気立ってきた。
そこに3月末日締め切りのレポート24本がどどどど押し寄せてきた。
合気道と杖道の稽古日程がだんだんタイトになってきて、今週からはいよいよ週5日お稽古である。自ら撒いた種とはいいながら、さすがにこれはきつい。それに今週は「新入部員ゲット週間」であり、私も陣頭に立って走り回らないといけない。
5月は10周年記念講習会、広島での講習会、全日本演武大会、五月祭と合気道がらみのイベントが四つ。それに大津の杖道全国大会。その間にご両親とお兄ちゃんと「内田家のルーツを探る旅」で山形に三日おでかけ。その間に文部科学省への出張。6月の最初の週末は東京で仏文学会に行って、とんぼ返りで四日が下川正謡会の本番。
そのあいだにもちろん授業がある。
新学期が始まる前日に、「生きて夏休みが迎えられるだろうか」とすでに不安である。
加えて合宿で痛めた右膝がなかなか治らない。
日常生活にはそれほど支障はないのだが、膝をぐっと曲げて体重をかけると角度によって激痛が走る。(階段を下りるのがちょっと危ない)
杖の稽古はともかく、合気道は立ったり座ったり膝を効かせて浮き身をかけたりと酷使するので、結局なかなか腫れが引かない。それに道衣に着替えると身体モードが変わるので、痛みが消えてしまう。だから、何となく稽古中は「治った」ような気になって、終わるとまた痛み出すのである。
困ったね。
私の身体はだいたい「トカゲのような治癒力」を誇っているのであるが、今回は少し長い。
松田先生は「ひごろ車ばかり使って歩いていないからですよ」と冷たいことを言うが、それはないでしょ、それは。
最近の出来事だけ忘れないうちに記録しておこう。
ベルギーのK井K奈姫から電話。ベルギー政府給費留学生に合格した由。倉庫に潜り込んで卒論を探し出し、フランス語レジュメを書いた甲斐があったわけだ。
「せんせー。恩に着ます」という姫からの謝辞をねぼけて受け取る。
『ためらいの倫理学』に好意的な書評を寄せてくれた共同通信から原稿依頼。身辺雑記の短期連載。
メジャーからの原稿依頼は『現代思想』以来7年ぶりくらいである。(『ジャパン・クオータリー』があるけれど、あれは旧友竹信くんからの原稿依頼だから同日には論じられない。)
さっそく大喜びで第一回分750字を5分で書く。(なにしろ身辺雑記だからね。この日記を書くのとおんなじ速度で書けちゃう)
これで3万円。
5分で3万。
これって時給に換算したら、ええと・・36万じゃない。
時給36万だと、一日8時間働くだけで288万円。すげー。
10日で3000万円だ。やほー。あとの355日寝て暮らせる。
でも、連載5回しかないんだよね。
時給36万円だけど労働時間は25分でおしまいのお仕事でした。
ちゃんちゃん。
でもさっそくまだ入らない原稿料をあてにして「うなぎ」を食べる。
竹内敏晴先生からお手紙をもらう。レヴィナスの『暴力と聖性』のなかで Bonjour を「おはよう」と訳しているけれど、「こんにちは」のほうがいいんじゃない?というご指摘である。(これだけでは何のことか分からないけれど、もちろん竹内先生が正しい。私が誤訳したのである。)
私は竹内先生のファンなので、さっそく「いかにして私は Bonjour を『おはよう』と条件反射的に訳すようなトンデモ体質になってしまったのか」について長いご返事を書く。(ご賢察のとおり、これは小津安二郎による「刷り込み」である。)
(2001-04-04 00:00)