4月1日

2001-04-01 dimanche

エイプリル・フールであるが、誰も私に嘘をつきに来ない。
つまらない。
私は生来の嘘つきであるが、あまりに各方面で「私は嘘つきである」と喧伝したせいで、最近は、「自己申告が正直なひと」と思われている。
これでは逆効果だ。
以前ウッキーに「男をころりとダマす秘訣」として「とにかくまめに嘘をつきつづける」という知恵を授けてあげたことがある。
するとウッキーは青ざめて「ええ! いつも嘘をつかないといけないんですか?」と悲痛な表情を浮かべた。(よい子である)
あのね、言うことが全部嘘だったら、ただの「裏返しの正直者」でしょうが。
嘘というのは、「虚実とりまぜ」ないと嘘にならないのだよ。
配分としては真実8の嘘2くらいが絶妙のブレンドである。よく覚えておくように。
「先生、それは本当ですか?」
嘘に決まってるだろうが、ほんとうに信じやすい子だね。

カミュ研究会の稲田晴年先生から長い『ためらいの倫理学』の読後感想文を頂いた。とても心暖まる手紙だったので、一日気分が晴れやかである。
そこで「読後感想文」の「感想文」を書いてお送りした。(「クロヤギさんからお手紙ついた」状態である。)
『ためらいの倫理学』の「あとがきのあとがき」のようなものなので、個人的なメッセージ部分を除いて以下に掲載する。

稲田先生

長文の感想をありがとうございました。
あの本で私が何とか決着をつけようとしてことはやはり「政治へのひっかかり」でしょう、と先日、年若い友人に指摘されました。
そういわれると、原体験にあるのは大学生のころに、二人の友人を党派闘争で殺されたことへの執拗な怨みであるように思います。いまでも、そのことを思い出して、話し始めると怒りで腸が煮えくり返るほどですから。
二人ともとても聡明で愉快な人物でしたが、悲惨な仕方で殺されました。
一方の殺人者たちは結局不起訴になりました。そのあとはふつうの市民として暮らしているのでしょう。彼らを煽った党派指導者のうちの何人かはそのあと中央省庁や一流企業に就職していきました。
私はこういう人間をどうしても許すことができないのです。
それは、「あのとき殺されたのは私である可能性もあった」からです。
死んだのが私でなく、友人であったのは偶然に過ぎません。
高橋哲哉さんはだいぶ若い方ですから、知的大衆諸君がふるう「正義の鉄槌」が文字通り「バール」として頭上に下されて頭蓋骨が砕かれる、ということの可能性をあまりリアルには感じられないのかも知れません。
でも、誰かが、二十歳少しで人生の楽しみもほとんど知らずに死んだ若者たちの鎮魂のために、「審問の語法で語るものはいつか〈正義の暴力〉を制御できない局面に立ち至ることになる」と言い続けなければならないと私は思います。
ただ、その鎮魂の作法が、「友人たちに政治的暴力をふるった人間たちを召喚しての、真相の究明と断罪」という方向には私の場合は向かわないのです。それでは「正義の暴力」を反復し、増殖することにしかならないからです。
私が選択したのは、私の友人たちを殺した「党派の連中」にも「三分の理」を認め、くやし泣きしながら彼らを赦し、けれども、今しているように、執拗に30年にわたって彼らを批判しつづける、というなんとも中途半端な道です。
それは、「ものすごく腹が立つけど、すんじまったことは仕方がないよ。だけど、これからはぜったいやめてくれよな!」と言い続けるということです。
私はそれを(学生運動当時の主張とほとんど変わらないというのが情けないですが)「さまざまな違和を含み、対立的立場をも代表できるような多数派の形成」という政治的戦略として展望しています。
政治的暴力は「根絶」することのできるものではありません。(そのためには「政治的暴力を根絶するための政治的暴力」が必要になるからです)
政治的暴力は「飼い慣らし」、「なだめすかし」、「折り合って行く」ことしかできません。
どのようにしてそのような混質的な多数派を形成してゆくのか、それについては、どこにもロールモデルが見当たりません。もしも、アルベール・カミュが存命していたら、どういう指針を出してくれただろうかと、ときどき想像してみることがあります。
「裏と表のあいだ」「ウイとノンのあいだ」で本質的な決定が下されるような社会システムとははたしてどのようなものでありうるのでしょうか。(…)

私の思考の「外傷」は70年代の学生運動に遡及するものではないか、ということを指摘してくれた年若い友人とは増田聡さんである。
もう30年も昔のことなので忘れていたけれど、増田さんに問われるままに昔話をしているあいだに、どうしても消化しきれないどす黒い怒りの記憶が蘇ってきた。
私はなんでもすぐに忘れてしまう人間のように見られることがあるが、ほんとうはけっこう執念深い。(「選択的に執念深い」というほうが正確かも知れない。忘れるときは三歩歩くうちに忘れてしまうから。)
嘘つきで、執念深く、向上心がない。
ほんとに困った性格である。

内田ゼミ98年卒の荒木都さんが3月10日、かねて白血病入院加療中のところ肺炎を併発して亡くなられました。彼女の魂の天上での平安をお祈りします。