3月26日(つづき)

2001-03-26 lundi

るんちゃんがついに旅立った。
JR六甲道の改札口で別れつつ

「困ったことがあったら、いつでも帰ってくるんだよ」
「うん。帰るよ」

と手を振ってお別れした。
ぐすん。

思えば1982年7月24日に日赤産院の分娩室でラマーズ法での出産時に、産道からご出生になる瞬間に立ち会って以来18年余、まさに「掌中の珠」として「よしよし」してきたわけであるが、その娘も成長して、私の手を離れることとなった。
娘の成長と、父親としての私の責務の終了を祝い、ジャック・ダニエルズでひとり静かに祝杯を挙げる。

おめでとう。
がんばるんだよ。
父ちゃんから贈る言葉はいつもシンプルだ。

「金なら貸すぞ。夜露がしのげる場所がなければ家においで」

これはすべての「ともだち」に父ちゃんが告げてきた言葉だ。
それをるんちゃんにも贈る。
私の家の扉は私の救援を求める「ともだち」のためにいつでも開いている。
るんちゃんは私の最良の「ともだち」の一人だから、当然、私の家の扉はいつでも君のために開いている。
人間としてどう生きるかにつての説教はもう18年間飽きるほどしたはずだから、いまさら言い足すことはない。
ひとことだけ言葉があるとすれは、それはこんなフランス語だ。

sauve qui peut(ソーヴ・キ・プと読むのだよ)

これは船が沈没したり、最前線が崩壊したりしたときに、最後に指揮官が兵士たちに告げる言葉である。

「生き延びることができるものは、生き延びよ」

集団として生き延びることが困難な局面では、ひとりひとりが自分の才覚で、難局を生き延びる他ない。
これからはそういう時代だと私は思う。
万人向けの「成功のロール・モデル」はるんちゃんたちにはない。
全知全力を尽くして君たちの困難な時代を生き延びてほしい。
父ちゃんが言いたいことはそれだけだ。