3月26日

2001-03-26 lundi

合気道の神鍋合宿から帰宅。
神鍋高原での合宿はこれで8回目である。
その前は、いろいろと試行錯誤の歴史があった。

91年の第一回の「湯の郷」合宿は、参加者30数名。全員が初心者で、受け身もろくにできない。私一人があっちこっちで教えて回っているあいだ、他の人たちは呆然自失している、というきわめて非効率的な合宿であった。初心者同士で稽古をしていると単に非能率的であるばかりか危険でもあり、負傷者が続出。二日目の午後には、集合時間に誰も集まらず、みな「エアサロンパス」の匂いの充満する部屋で倒れ臥していた。

次に、淡路島の「れもん樹」というペンションに二回行ったが、これはペンション自体が「ボーイ・ミーツ・ガール」系のつくりになっていて、なんだかラブホテルで合宿をしているようであった。私が海老ちゃんの肩を外したり、ゲンが悪いので止め。

小豆島のペンションはご飯が美味しかったのであるが、道場がものすごく汚くて、暑くて、ほとんど拷問であったので一回で止め。

二度目の小豆島は、思い出すだけで悪夢が蘇るほどに凄い宿だった。迎えのバスが港に来た段階で悪い予感がしていたのであるが、宿に着いた瞬間にUターンして帰ろうかと思った程である。あとのことは思い出したくない。

琵琶湖畔の「白浜荘」は宿もきれいで、道場もなかなかよくて、愛用していたのであるが、ホテルの同宿者に「おやじ」が多く、麻雀をして騒いだり、廊下にげろを吐いたりするので、怒って止め。

そして、4年前についに名色高原ホテルに出会って、ここを「ついのすみか」と定めたのである。
空気もよいし、景色もよろしい。道場が二階にあって、たいへんに効率的に稽古ができるし、ご飯も美味しいし、お風呂も24時間入れるし、経営者のご夫婦もとてもフレンドリー。だいたいは合気道部の貸し切り状態であるので、妙齢のご婦人たちがジャージーの首にタオルを巻いて、片目で眠りながらご飯を食べていても誰も咎める人とていない。

今回の合宿では卒業直後の現四回生5名が二段に、三回生と院生3名が初段に昇段。
学生に二段を出すのは、創部10年目にしてはじめての快挙である。それだけ、合気道部の「層」が厚くなり、4年間の稽古の質が向上した、ということと思いたい。
うれしいことである。

昇段祝いと四回生の「追い出しコンパ」をかねた昨夜の宴会は、在学生たちと卒業生たちの「ミュージカル」合戦。(うちのクラブは「歌って踊って芝居もできる」ことが幹部の条件である。)
在学生の「送る歌」に卒業生たちは感動のあまりぼろぼろ泣いていた。
なんだか感動青春ドラマ最終回を見ているようで、冷血漢のウチダもついほろりとしてしまった。
それに、卒業生たちからは心のこもった贈り物を頂いた。(ありがとね、ジャージ。これからはこれを着て学校へ行くよ)
まったく、よい子たちである。
世間では、「最近の若い者は」とかとかく批判的に言われるようであるが、合気道部の子たちはみな天使のようによい子たちである。
「よい子は集住する」という法則がある。
これはほんとうである。
私は1970年代の終わり頃に「チャーミングなおじさんたちが集住する」世界に一度足を踏み込んだことがある。(義妹が在籍していた弘済学園という精神障害児の施設である)
20代の私は「世間にはろくな大人がいない」とたかをくくっていたが、それもそのはず、「かっこいいおじさんたち」は私の知らないところに「ダマ」になって暮らしていたのである。
考えて見れば当然のことだ。
どうして、「よい子」や「かっこいい人」や「賢い人」が、世間のあちこちに均質的に「ばらけて」いる必要があろうか。
「よい子」だって、どうせなら「悪い子」よりは「いい子」といっしょにいる方が楽しいし、「賢い人」だって、どうせなら「賢い人」といっしょに仕事をする方が効率的だ。
だとすれば、おのずと「よい子」はにこにこ群れ集い、「かっこいいおじさん」たちは気楽な共同体を構成することになる。
何の不思議があろうか。
合気道部は「よい子のコロニー」である。
私のような「悪いおじさん」の主宰する道場にこのように「よい子たち」が群れ集ったのは、いったいいかなる天の配剤によるなのであろうか。
おそらくは私を改悛させんとする神の意思がこの天使たちの存在を通じて私にもたらされているのであろう。
私もさすがにちょっとだけ「よい人」になろうと、決意を新たにした。
「よい子」の功徳かくのごとし。
「よい子」は国の宝です。
ほんとに。