そうこうしているうちに、いよいよ『ためらいの倫理学』が上梓されることとあいなった。
じつに喜ばしいことである。
これは私が個人名で出版する最初の本である。(共著はいくつかあるけど)
これまでの松下、難波江両氏との共著本が「夫婦のあいだに子どもが出来た」というような感じのものであるとすれば、これは「単性生殖で子どもが出来た」というような感じのものである。
プラナリアとかが「ぶちっ」と細胞分裂して増殖してゆくというのは、あるいは壮絶な快感を伴うものではないか、と誰かが書いていたが、たしかにそれはそれで、なかなかよろしいものである。
単性生殖とはいえ、もちろんプラナリアを肥らせたり、しっぽをちぎったりする他者はそれなりに介在するわけで、そのおひとりであるところの「鳴門のロック少年」増田聡先生がすばらしい宣伝コピーをご自身のホームページで展開してくださった。
あまりに感動的なコピーなので、そのままご紹介させて頂く。
「マスダ敬愛する所の内田樹氏の新著『ためらいの倫理学』(冬弓舎)3月10日発売!
冬弓舎のサイトで絶賛予約受付中!
なんでもええから騙されたと思って買え! オラァ買わんかい!」
「なんでもええから騙されたと思って・・・」というのは、人を騙すときの常套句であるから、騙されて買ったみなさんが「あ! 騙された」と思うことは火を見るより明らかであるが、なにしろ、あらかじめ「騙されたと思って」いるわけだから、「やっぱな。こんなことだとおもっとったわ」と千円札二枚ほどの散財をもって「騙されることを予期して騙された」おのれの洞見を確認してニッコリという「おとなの」態度で臨んで頂けるものとウチダは信じて疑わない。
しかし、あまり卑屈になるのも宣伝上よろしくないので、少し強気の発言も試みたい。
私がこれまで著者の口車に乗せられた買った本の代表というと、小田嶋隆の『笑っておぼえるコンピュータ事典』(Justsystem, 1992)であるが、この序言は「本の宣伝」としては古典的名文であるので、ここに再録したい。
「はじめに元来、事典は読むためのものではない。
どちらかといえば『引く』ためのものである。
事実、世に流布している凡百のパソコン用語事典は、もっぱら引くことを主眼として作られている。
だから、とても読めるような代物ではない。
内容空疎、構成散漫、記述平板、解説生硬。しかも噛んで含めるような難解さを備えていたりする。
こんなものは、読めない。
しかし、本書は読める。
読み出したら止まらないことと言っても少ししか過言ではない。
しかも、もちろん引くことだってちゃあんとできる。
世に流布している凡百の用語事典は、読者に異常なまでの循環参照を強要し、読者が引くというよりも、むしろ事典の方が読者を引きずり回している場合が多い。
ところが、この事典はどちらかといえば押しまくる態度で書かれている。
『読者が引くのなら、こっちは押そうじゃないか』
簡明な態度である。
原則として一項目一解説で完結し、読者に他の項目の参照を求めない。
立派な姿勢である。
さらに、本書は、笑える。
場合によっては、笑いころげ回ることも可能だ。
もちろん、スベった笑いも散見はしているが、そういう場合、著者は、あやまっている。
謙虚な生き方である。」
実に簡明にして謙虚な態度である。本の「まえがき」はかくありたいものである。
『ためらいの倫理学』もまた、「読者が引くなら、こっちは押そうじゃないの」という態度で一貫している。
原則として、エッセイ一本一話完結で、読者に他の項目はおろか他の書物への参照さえ求めていない。(とくに書評の場合などは、原著を参照されると不都合な箇所も散見される。)
しかし、残念ながら、本書にはあまり「笑える」箇所はなく、それゆえ「笑いころげ回る」というような身体的爽快感は期待できない。申し訳ない。
「スベった」批判もまた随所に見られるが、そういう場合、著者は、読者が気がつくより先に謝っている。
謝るくらいなら、書き直したらどうか、という条理の通ったご意見もあろうかと思うが、それは「ビールを呑むごとにおしっこに行くくらいなら、はじめからアサガオにビールを注いだらどうか」という『ショージ君』的短絡的発想であって、にわかには肯んじがたいのである。そもそも、「口が滑って」とんでもないことを書いてしまい、そのあと、あわてて謝るという「前言撤回」そのものを私はテクスト・パフォーマンスとして展開しており、書き直すと書くことがなんにもなくなってしまうので、この点はご海容願わなくてはならない。
ともあれ、『ためらいの倫理学』はなかなかよい本である。
私自身が著者であるために、客観的な批評が出来ないのが残念である。
私がもしウチダと無関係な一読者であれば、「おお、なんと、私が言いたいことが、一言一句たがわずに、私の生理にぴったりの文体で書かれているではないか」と驚愕するに違いない。
(2001-03-02 00:00)