2月27日

2001-02-27 mardi

友成純一『暴力 猟奇 名画座』(洋泉社)を読む。
映画秘宝コレクションの一冊。このコレクションでは柳下毅一郎の『愛は死よりも冷たい』と、みうらじゅんの『いつも心にジージャンを』を読んだ。どちらも面白い。
友成の本もよい本である。
私は「ふつうの」映画批評というものをほとんど読まない。
しかし、バカ映画批評は目を凝らして読む。
「バカ映画批評」は「バカ映画」批評と、「バカ」映画批評の両義を含意している。

「バカ映画」批評とは、「バカ映画」についての批評である。
「バカ映画」がどのような映画であるかについては、『映画秘宝』創刊号の『エド・ウッドとサイテー映画の世界』(洋泉社)に書いてある。
「バカ」映画批評とは、「バカ」宛ての映画批評のことである。

文章が「誰に宛てて」書かれているかということは、たいへん大事なことである。
学術論文などで、「周知のように」という挿入句の続きに、「私の知らないこと」が書いてある場合、私はためらわずその論文をゴミ箱に投げ込むことにしている。
だって、その論文は「私の知らないこと」が「周知」であるような世界のみなさんへ宛てた論文だからである。私はその論文の読者として想定されておらず、そうである以上、そこに私あてのメッセージが含まれていようはずもない。それをしまいまで読むのは時間の無駄である。
ときには、論文がいきなり「周知のように」ではじまるものがあり、この場合は、読み始めて3秒くらいでゴミ箱行きになることもあって、たいへん時間の節約になる。
であるから、若い研究者の諸君は、なるべく「周知のように」から論文を書き始めていただけると、ゴミ分別のための時間が少なくすんで、私としてはありがたい。

閑話休題。
「よい文章」とは「宛先のはっきりしている文章」である。
ふつうの映画批評は「宛先」があいまいである。
全国紙の映画評の場合などは800万読者を想定しているわけである。その全員に宛てて書くなら「天声人語」みたいな書き方以外にありえない。
私は「天声人語」の文体で書かれた映画評なんて読みたくない。
「バカ」映画批評は「バカ」宛てに書かれた映画批評であるから、宛先だけははっきりしている。
その前提からして「よい文章」になる条件を備えている。
なにしろ相手が「バカ」なのであるから、「周知のように」といったこざかしい台詞は絶対に出てこない。
「例の・・・」とか「マニア垂涎の・・・」とか「ご存じ・・・」とかいった「身内」向けの語法も厳しく自制されている。(若い「映画批評家」のなかには、このルールを知らないで、「映画批評」を「おたく」的な知識の店開きの場と勘違いしている人がいるが、これは間違いである。)
なにしろ、読者は「バカ」なのであるから、「当然見ているはずのバカ映画」を組織的かつ網羅的に見ているというようなことはありえない。(そういう組織立った思考や行動が取れないから「バカ」なんだから。)
だから、「バカ」映画批評をしようとするものは、どんな有名な映画についても(それこそ『戦艦ポチョムムキン』とか『市民ケーン』でも)、ちゃんと「たぶん、ご存じないと思うんですけどね」というスタンスを貫かなくてはいけない。

「あ、でもいいです。見てなくても。見てなくても分かる話ですから」

読者が無知であるばかりではない。
友成の場合など、ご自身が『反撥』を見ておらず、『水の中のナイフ』は中学生のときに見ただけなので、内容を忘れてしまった状態で、「ロマン・ポランスキー論」を書いているのである。
見てなくても書いちゃうのである。
にもかかわらず、友成のポランスキー論は。ポランスキー映画が彼にとって、どういうふうに面白いのか、ということについてはていねいに書いてあるので、彼自身が見てなかったり、内容を忘れてしまっている二本の映画についても、批評がきちんとあてはまる、という不思議なことが起こるのである。
映画史的情報の欠如は批評的知性の運用を妨げない。
「バカ」映画批評家は、「なぜ、この映画は面白いのか?」という問いに答えるに際して、読者に、「当然知っておくべき」映画史的知識や批評的言説への参照を求めないからである。
彼らは読者と共有されているはずのわずかばかりの情報を最大限駆使して、なぜある映画が「私」にとって、そして「あなた」にとって、見るに値するのかということを熱く語る。

わが「不詳の弟子」フジイ君もまたそのような禁欲的知性の持ち主であり、(禁欲が過ぎて、餓死が心配だが)その映画評には刮目すべきものがある。

「『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』を観た。ネタばれ激しい恩師レビューにて『低予算=××は最後まで出てこない』予備知識を備えていたので怖くないこと白昼の墓の如し。無能だしケンカするしで、ただただ疲れる。出てこなくても最終的に『いる』ってのが興醒めだね。いない方が怖いでしょう。」

しまった。「この映画は私にとって面白かった」という理由をこまごまと書いたせいで、映画が「つまらなくなって」しまったということもあるのを忘れていたよ。
すまない。