快晴。ベランダから見える海が輝いている。
海の見える部屋に暮らすのは、これが生まれて始めてだけれど、なかなかよいものである。
ここにはあと2年いる予定である。
その次は「駅の近く」に越す。(マンションの一階にツタヤとローソンがあるようなところ)
しかし、駅の近くは人も多いし、騒音もうるさいだろうから、そこも2、3年で引き払って、次は「山の中の一軒家」に移動する。
そこで犬を飼う。
私は人も知る「犬好き」であって、とくに柴犬を見ると、のどもとに迫り上がる「愛情」で身体が火照るほどである。
スーパーの入り口などにつながれて、ご主人が買い物を終えるのを待って、ちょこんと座っている犬をみたりすると、そのまま小走りにかけよって、抱きしめたいという欲望を制御することができない。
犬も「犬好き」を識別するので、どれほど性格の悪い犬も、だいたい私の抱擁と「すりすり」には抵抗しない。
この「犬への愛」はおそらく遺伝子的に私に根づいているものであろう。(猫にはぜんぜん興味がない。)
私は生まれてから、11歳まで、二匹の犬とともに生きてきた。
最初の犬はシェパードで、次の犬は柴犬である。
シェパードは私より巨大であり、その犬小屋は私の背丈よりもずいぶん大きかったので、私は子犬たちと犬小屋でごろごろして遊んだ。
柴犬の小屋は私のベッドの横にあって、夏の朝は窓を開けて寝ているので、6時になると、窓から鼻面をつっこんできて、私の頬をぺろぺろ舐めて「はやくお散歩行きましょうよ」とせかした。
自分では気がつかなかったが、子ども時代の私はすごく「犬臭い」子どもだっただろうと思う。
しかし、東京のアパート暮らしでは犬を飼うのは不可能である。
11歳で柴犬の死を看取ってからあと40年、私は「犬なし」の人生を送ってきた。
しかし、四月からは晴れて独居老人となるわけである。
孤独な老人と犬はたいへんにつきづきしいものである。(ホームレスのおじさんには犬と仲良しの人が多い。)
というわけで、私は次の次の引越先では「犬を飼う」と決めたのである。
もちろん柴犬である。
そして、ひまわりとか、カンナとかが見苦しく咲いている手入れの悪い庭に面した縁側に座って、私の顔を所在なげに見上げる犬の頭をなでながら、ぼそっと「今日も、暑くなりそうだね」と呟くのである。
(2001-02-25 00:00)