2月15日

2001-02-15 jeudi

野崎次郎先生の「ボケ作日記」に1967年の2月11日、つまり建国記念日が最初に施行された日に戸山高校に「同盟登校」した話が出ていた。
当然のように、私も同じ日に日比谷高校に「同盟登校」していた。
私の場合はジロー先生と違って「よい子の中学生」から「民主的高校生」を経て「バカ大学生」という正規の成熟ルートではなく、「よい子の中学生」から(「民主」を中抜きして)ダイレクトに「革命的不良高校生」というものになってしまったので、このあたりの政治的行動については、まったく論理的根拠とか政治的言い分とかいうものはない。単に「国家が国家の起源を自己定立するなんて、変」と思っただけである。
どこの世界に自分の誕生日を自分で決める奴がいるものか。
しかるに、私は何であれ「他人が決めたことに従う」ことができない高校生であったので、「同盟登校」にしても、それが行政委員会の主導であるとか社研の仕切りであるとかいうことであれば、もうそれだけで「いや」になってしまうのであった。
したがって、この「同盟登校」は、「ひとに仕切られるのがいやなんだよおれは的非同盟高校生たちの同盟登校」であったために、当日学校へ行ってみたら、誰も来ていなかったのであった。(当たり前だね)
そのあとどうしたかしかとは覚えていないが、グラウンドで所在なげにしていた数名の非同盟的バカ高校生たちとつれだって麻雀でもしにいったような気がする。(かっちゃん、覚えてる?)
このアンチクライマックスな「最初の建国記念日」を私はなんとなく記憶していて、毎年この休日になると、そのことをちょっとだけ思い出して「おれって、ほんとに昔からぜんぜん変わってないな」と思うのである。