1月30日

2001-01-30 mardi

『ためらいの倫理学』には「しおり文」というものが挟み込まれることになった。
もともと「帯文」に鈴木晶先生がかっこいい推薦文を書いて下さったのであるが、装幀の山本浩二画伯が、装幀のイメージを得るためにゲラを通読したあとに、なんだか一言言いたくなって、長文の「感想文」を書いてくれたのである。その感想文があまりに名文だったので、私と編集の内浦さんは胸を打たれて、これはどこかに使いたいね、ということになって、これを「しおり」に印刷してはさみましょう、ということになった。しかし、それでは少し字数が足りない。そこで、増田聡さんにも一文書いてもらうことにした。
昨日、その増田さんの「推薦文」が届いて、拝読した。
私はこれまでいろいろな人にいろいろな仕方で罵倒されてきたので、どういうふうにけなされるかについてはだいたい心当たりがあるし、心の準備もできているのであるが、書いたものを「ほめられた」ことはあまり(ほとんど)ない。
たしかに、「分かりやすかった」と言うことは何度も言われた。他にもなにかあるかなと思って、しばらくじっと「・・・・」という感じで次の言葉を待っているのだが、たいていはそれで終わってしまうのである。
しかるに、増田さんの推薦文は私の書き物の「思想史的意義」について書かれているのである。
す、すごい。
私のテクストもなんらかの思想史的必然があってこの世に登場したのである。
考えてみれば、当然のことだけど。
増田さんによると、私は「思想の整体師」なのだそうである。「あなたのコリ、ほぐします」というミッションを承けて、私は地上に送られてきたのである。
なんだかうれしい。
これまで「思想のバッタ屋」とか「現代思想のサル化」とか「俗情との結託」とかいろいろ言われてきた(はずな)ので、ほめられると無条件にうれしい。
やっほー。
増田さんありがとう。

ためらいの倫理学