1月25日

2001-01-25 jeudi

試験も今日でおしまい。明日から、とりあえずワタシ的には「春休み」である。
やほー。
「大学の先生って、いい商売ですね」とよく言われるが、ご指摘の通りである。
休みは多いし、上司はいないし、ジーパンにセーターで講義をしても表だって文句を言う人はいない。
それどころか休講すると学生たちは「わーい」と喜んでくれるのである。仕事を休んで感謝される商売というのを私は他に知らない。
それを「しあわせな人生だね、あんた」とうらやむ人もいるだろうし、「人間としてちょっと恥ずかしくはないかね、君」と憤る人もいるだろう。
たしかにこういう環境は深みのある人格を涵養するためにはあまり効果的ではない。それは認めざるを得ない。
人間的向上心をもつひとにはお薦めできない職業である。
私は「ボンクラ」論で開陳したとおり、上昇志向はあるが向上心がない人間であるので、その点については問題がない。
もともと私は本を読むことと原稿を書くことに、この世のどのような活動よりも深い快楽を覚えるタイプの人間であった。それに加えて、いまでは専門領域を「映画論」と「武道論」にまで広げてしまったので、映画を見ることも、お稽古をすることも、すべて堂々たる「研究活動」なってしまった。
つまり寝ているときとご飯を食べているときと家事をしているとき以外のほとんどすべての時間は「研究と教育」のために費やされているわけである。
まして、この春休みからは晴れて「主夫」廃業となる。家事さえしないのである。たぶんご飯もときどきしか食べないことになるだろう。となると、寝ている時間以外はすべて仕事をしていることになる。
だから「もう春休みですって? ひまでいいですね」などと言うのはいささか厳密さを欠いた発言と言わざるを得ないであろう。
この春休みにはレヴィナス論を仕上げなくてはならない。
レヴィナス論を書くことは私の喜びとするところであるのだが、そのためにはいろいろな人の書いたレヴィナス論を読まないといけないのがめんどうである。(読まずにすませたいのであるが、私がこれから書こうと思っていることを誰かが先に書いていたら恥ずかしいから、いちおう「チェック」を入れておかないといけないのである。)
でも人の書いたレヴィナス論はどうもあんまり面白くない。
どれも、レヴィナス先生がなんだかすごく難解なことを説いているような書き方がしてある。
あまり高尚にして難解な哲学は、ふつうの人たちは敬して読まない。(私だって読みたくない)
しかし、ひとにぎり専門家たちにしか理解が及ばないとされるのは哲学者にとって決して幸福なことではあるまい。
お会いしてびっくりしたのは、レヴィナス先生がものすごい「おしゃべり」だったことである。
私がぽかんと口を開けているのも構わず、3時間くらいノンストップで、ばんばんとその思想を全面展開して下さった。
先生は「韜晦」というようなものと無縁の方であると私は思う。
あのような言葉でしゃべる必要があると信じていたからこそ先生はしゃべったのであり、その宛先が他ならぬ私であったということは、私のようなボンクラが早急に理解する必要がある思想を先生は語られていた、ということである。
だとすれば、日本中のボンクラ諸君とともにレヴィナス先生のお教えを共有することこそ私の責務であるのではないか。
というわけで万国のボンクラ諸君、刮目して待つべし。