1月19日

2001-01-19 vendredi

大学の一般入試の志願者数の中間報告があった。
私の属する総合文化学科は前年なみ。英文学科は急増。音楽と環境がやや不振、という数値が報告された。
本学では、今年から公募推薦が一部で導入され、予想外の志願者が来てくれた。従来の指定校推薦入試も内部推薦も順調に終わった。つまり、推薦枠で前年度よりかなり多くの学生を確保ずみなのである。その上で、一般入試の志願者数が「前年度なみ」というのは、18歳人口が年々激減しているという全体の状況を勘案すると、「すごくいい」ということである。
この成果は一に保守的な本学の体質と悪戦しつつ、入試改革を断行した教職員のみなさんの功績に帰すべきだろう。
しかし、単純な入試機会の拡大ということはどこの大学でもやっていることであり、この成果が出た理由はそれだけではないと私は思う。
英文科の志願者増の理由は誰にでも分かる。「グローバル・コミュニケーション」という新コースを立ち上げて、それがマーケットに好感されたのである。
「国際政治や国際経済や国際交流といった領域でのクオリティの高いパフォーマーを育成する(ことができるかどうかしらないけれど、いちおう目標は)専攻」の創設が提言されたのはいまをさかのぼる9年前のことである。
当時、私はその提言を現実化するための小委員会の委員であった。新学科を開設するだけの財政的基盤がない状態では、英文学科、総合文化学科が「相互乗り入れ」するような新しい教育スタイルを工夫するほかないだろうという委員会の答申のほとんどは、二年がかりの議論の末に廃案となった。そして「とりあえず、何もしない」ということに落ち着いたのである。(やれやれ)
9年後とはいえ、その構想の一部が現実化したことについてはすなおに喜びたい。今回マーケットが寄せてくれた「ご祝儀」倍率をぜひ来年以降も維持したいものである。
全体的に見れば、2001年段階でこの水準ということは、「F」ランク(誰でも受験すれば合格)の学科が続出している阪神間の女子大のなかでは「大健闘」と言ってよい。
ご存じでないかたがいるかもしれないが、マーケットの動向は「ポジティヴ・フィードバック=収穫逓増」法則に支配されている。
「ポジティヴ・フィードバック」というのは「勝つものはどんどん勝ち、金持ちはどんどん金持ちになる」という傾向のことである。
古くはVHSとベータの競合のとき、(性能では上回る、とされていた)ベータが市場から駆逐されたのがその適例である。
VHSがマーケットを制覇できたのは、VHS方式を採用する電器メーカーの数がほんのすこしだけ多かったからである。そして、その「ほんのわずか」の差が決定的な差に拡大するまで長い時間はかからなかった。
まず映像ソフトを提供する側がその「わずかな差」にこだわった。
「じゃあさ、とりあえずVHS版出して、そのあとにベータ版も出そか」ということになる。
ここで増幅された差は、貸しビデオ屋における「ビデオ借りに行ったら、そのタイトルはVHS版だけで、ベータ版がなかった」確率の高さにダイレクトに反映する。
一度そういう目にあった消費者は、「じゃあ、今度新しいビデオデッキ買うときは、とりあえずVHSにしとこか」というふうに考えるようになる。
このとき、「次はVHSに買い換えよう」派と「次もベータを買い続けるぞ」派の比率は、「いまVHS持ってる」派と「いまベータ持ってる」派の比率ともはや同じではない。
そのようにして、あれよあれよという間に貸しビデオ屋から「ベータ専用コーナー」が消えて、やがてAV機器売場からもベータの姿は消えたのである。
「ポジティヴ・フィードバック」では、わずかな入力の差が劇的な出力の差に結果する。
大学の競合もこれと同じだと私は思う。
うちの大学と近隣の女子大学のあいだでは、教育サービスの内容できわだった差異はない。(と思いたい。)
うちのプラス・ポイントはとりあえず「老舗です」と「キャンパスが綺麗です」と「卒業生に賢い人が多かった(最近は・・・?)」いうあたりである。
しかし、そのようなものでもマーケットにおいて「関与的な差」として機能する可能性はある。
つまり、近隣の大学と「同程度の」教育サービスさえ提供していれば、クライアントは「どうせ同じような大学なら、ちょっとだけプラスの多い」方にしようと(合理的に)思考するのである。
例えば、甲南大学は「岡本に特急が停車する」ことになって志願者が急増した。
「どれを選んでもそれほど変わらない」大学が競合している場合は、そのような差異でさえすぐれて関与的なのである。
他の点が同じであれば、「ちょっとだけいい」方の「ちょっとだけのアドバンテージ」は、短期的に「有意なアドバンテージ」に化す。
私の見るところ、本学はいま「ポジティヴ・フィードバック」のとばぐちに指一本をかけている。ここでリードを維持できれば、ある段階で一気に競合大学に水をあけることができる。
だから現段階における本学の急務は「近隣の他大学と差別化をはかること」というよりむしろ、「近隣の他大学と比べて見劣りしない教育サービスを提供すること」である、と私は思う。
「いや、大学の建学の精神を生かして、どうやって他の大学と差別化をはかるかにこそ大学の存在理由はあるのではないか」と反論するひともいるだろう。
それは正論である。
だが、私の見るところ、「神戸女学院大学独自の教育」を標榜する人たちの多くは、「近隣の他大学にはあって、本学には欠落している教育サービス」のキャッチアップにはあまり関心がない。
「ほかとおなじことやっても仕方がないでしょう。うちのいいところをアピールしなければ」
いや、おっしゃるとおりである。
しかし、そのようなアピールは「ほかとおなじこと」が整っている場合にのみ「アピーリング」なのである。
学生が大学を選ぶ基準は「教育理念の高さ」ではなく、「教育サービスの高さ」である。
学生に選ばれない大学に「独自の教育」を実施するチャンスはない。
学生の来ないキャンパスに教育はない。
まず、そのようなマーケティングの基本から確認してゆく必要がある。
教育サービスのクオリティの「低さ」を建学の精神の「高さ」でカバーする、という発想は高校生にはおそらく理解されないだろう。