1月8日

2001-01-08 lundi

お正月休みも今日で終わり。
ずいぶんのんびりしたお正月であったが、結局レヴィナス論は途中でストップ、『読書人』の書評も一行も書けず、冬弓舎の原稿の三校も終わらない。まあ、おかげでのんびりしたお正月だったからいいか。

一昨日は合気道の鏡開き。午後4時半くらいから始まって、午前2時くらいまで、ずっと歓談しつつビールとワインと日本酒をのみつづけていたので、さすがに翌日は二日酔いで腰が立たない。
気持が悪いというのではなく、体中の血液が肝臓に集まって「アセトアルデヒド分解活動」に従事しているので、頭脳をはじめ肝臓以外の臓器が酸欠状態になっているのである。
午後になってからふらふら起き上がってぬるいお風呂に浸かる。出てから麦茶をごくごく飲んで、ご飯を炊いてぱくぱく食べる。(ご飯はいくらでも美味しく食べられる。肝臓が栄養を要求しているのであろう。)二合炊いたご飯をキュウリの漬け物と納豆とえびすめをおかずにたちまち食べ尽くす。お腹が一杯になると睡魔が襲ってくる。ふたたびベッドに倒れて昏睡。ようやく午後7時ころに「ほぼふつうの人間」に戻る。

しかし、「二日酔いで寝ていただけの一日」というのはあまりに哀しい。
残る時間を有意義に用いるべく、『鞍馬天狗』のお稽古をする。バイブレーションが全身に通って、ちょっといい気分になる。しかし、活字を読んだり、哲学的思考をしたりする意欲は湧いてこない。そのままずるずると TV に移動して『鉄道員(ぽっぽや)』を見る。二度目であるが、また「しかたないっしょ」に泣かされてしまった。
浅田次郎が村上春樹とならぶ「霊魂小説家」であることに最近気がついた。「お化けが出てきて、大団円」という作風において両者には通じるものがある。
二人とも日常生活部分の描写がリアルで暖かみがあるせいで、「お化けが出てくる」ことに小説的な意外性がある。それがふつうの「ホラー小説」と違うところである。(「ふつうのホラー」の場合は、「さあ、いまに恐いのが出ますぜ」というアオリに気がせいて、登場人物の設定や日常生活描写の手抜きがひどいし、もちろんお化けの登場に何の意外性もない。)
もしかすると、この二人はそれと知らずにスティーヴン・キングの影響を受けているのかもしれない。(「村上春樹におけるスティーヴン・キング受容」・・・おお、これは意外な線だなあ。誰か書かないかしら?)

昼間寝過ぎたせいで夜になっても寝つけない。
しかたがないのでベッドで司馬遼太郎『燃えよ剣』を読む。なんだかお腹が減ってきたので、起き出して夜食に「みどりのたぬき」を食べてTVをつけるとケーブルテレビで深夜だということでとんでもない番組をやっている。「こ、これは怪しからん」とそのまま見続ける。うーむ、世の良風美俗というものを制作者は舐めきっておるようである。ずるずるうどんを啜りつつ最後まで見る。し、しまった。バカ番組の視聴率を上げてしまった。
しかし、こういう自堕落な生活も今日限りである。明日からは知的で物静かな紳士に戻るのである。

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