1月5日

2001-01-05 vendredi

あけましておめでとうございます。
ようやく家に帰ってきた。

元旦は恒例のとおり、丹波篠山春日神社で『翁』を見る。今年は暖かすぎて、途中から雨になってしまった。雪の中であれば風情があるんだけれどね。
小雨の舞鶴道を戻って芦屋神社で初詣。
91年のお正月に「とりあえずいちばん近くの神社に初詣」ということでなんとなく同じ町内の芦屋神社に詣でたのであるが、私は「一度始めたことをしつこく続ける」という癖があるので、御影に引っ越しても初詣は芦屋まで行く。
神社で破魔矢を買って、家に帰ったら午前4時。

一眠りして新幹線で横浜の実家へ。
老父は数えで90歳。相変わらずウィスキーをストレートでくいくい呷り紫煙をくゆらし世の健康ブームをせせら笑っている。多少耳は遠くなったが「説教癖」は健在。TV番組を見ていてCMになるといきなり「消音」にする。NHKのニュースでも気にくわないアナウンサーは出るなり「口パク」の刑に処される。
私のこのホームページも詳細にチェックを入れており、ときどき「何を言っておるのか、ばかものめ」などというコメントをつぶやいておられるそうである。
あの、お父さん、これは「ヴァーチャル日記」で、ここに出てくる「内田 樹」というのは私が造形した「キャラクター」でありまして、現実の内田 樹とはあまり関係ない人なので、そのへんご了承いただけますでしょうか。(だからこのホームページに出てくる「お父さん」もお父さんじゃないんですってば、お父さん・・・なんてでまかせにダマされるほど人がよくないですけど、うちのお父さん)

二日はまず「小口のかっちゃん」と渋谷でお年賀。
かっちゃんは某医大の偉い先生である。二人で久闊を叙したあと、ただちに大学教育のあるべき姿、人の践むべき道について熱弁三時間。(たしか去年も同じような・・・)まわりの人たちはあまりの「大言壮語」にびっくりしていたのではあるまいか。ともに不健康な生活を満喫するために健康にだけは注意しようねと肩をたたき合う。
続いて成瀬の松下正己君宅にお年賀。年頃の娘を持つもの同士の「子離れ」についての意見交換から始まったが、シェリー酒など頂くうちにたちまち終わりなき映画話。

三日も忙しい。ex義母宅に年始のご挨拶に伺い、ex岳父のご位牌にお焼香ののち、ex姻族のみなさんの消息についてひとわたり世間話。
私がなぜ離婚した妻の親族のみなさんと親しくしているかというと、話せば長いことになるが、私は基本的に「核家族」というものを「あまりよろしくない」というふうに考えているからなのである。
「核家族」という、法的にその親密さを保証された、閉じられた濃密な関係をすべてに優先させるような発想法を「諸悪の根源」とはいわぬまでも「いくつかの悪の根源」であると私は思っている。
詳しい話はまた今度メル友交換日記で展開する予定でありますが、とにかく「袖擦り合うも他生の縁」、かりにも一度は「母」「息子」と呼び合って構築された信頼関係を私事にすぎない離婚ごときでちゃらにすることに私は積極的意義を認めないのである。
私の「拡大家族」論というのは決して机上の空論ではない。
夫婦の性的関係を機軸にして家族は成り立つべきである、というふうに私は考えていない。
社会的な信頼でたしかに結ばれている関係は夫婦や親子以外にもいくらもある。私はそれらを核家族の紐帯よりも弱いものだとは思わない。たしかな信頼で結ばれたすべての関係は「ファミリー」たりうる。
それゆえ、(ものすごく不本意ではあるが)私は別れた妻でさえも、私自身の拡大家族の一員として(泣く泣く)認知しているのである。彼女への信頼がなければ、愛娘を託したりはしない。

続いて多田先生のもとにお年賀。
坪井先輩、多田塾同門の若者たち(東大気錬会、早大合気道会の諸君)とともに多田先生を囲んで痛飲。まことに愉快。多田先生お手製の「かしわのお雑煮」を今年もご馳走になる。美味なり。
帰宅してから「お兄ちゃん」と甥の裕太君と歓談。兄ちゃんのビジネスはますますご繁昌のようでまことにご同慶の至りである。

しかし、さすがに二日間でこれだけ「お年始」にまわると疲れて、翌日は「休日」ということで、司馬遼太郎と浅田次郎を読みながら終日ごろごろ。平川君と植木君には会えずじまいで残念でした。
さて、明日は合気道の鏡開き。また宴会だ。