12月31日

2000-12-31 dimanche

20世紀最後の日となった。
自分が生きて21世紀を迎えることになろうとは、16歳のころには思いもしなかったが、まったく先のことは分からないものである。
「2001年宇宙の旅」とか「2001年ナイアガラの旅」といったフレーズにリアリティがあったのは、基本的に「2001年なんて来るはずない」という暗黙の了解があったからである。
いまの10代の少年たちの多くは1999年7月に「世界は滅びる」と30%くらいは思っていたそうである。
去年のいまごろは2000年問題というのが世間を騒がせていたが、そもそも「2000年問題」が起こったのは、コンピュータのプログラムを作っている連中が「2000年は来ない」と思っていたからである。
その黙示録的7月も過ぎて、世界が破滅するはずの2000年もなにごともなく迎え、あれよあれよといううちに新世紀になってしまった。
まったく困ったものである。
人間はありもしない未来を期待してい生きている、というふうに思っていたが、案外そうではなくて、人間は「未来なんかない」と思いこんで、今日の退屈や苦痛に耐えてきたのだということが分かった。
なるほど。
「おれたちに明日はない」というのは絶望の言葉ではなく、希望の言葉だったのである。「明日なき暴走」というのは、「明日がない」ことにしないと暴走できないからこしらえた言い訳だったのである。
これからさき、「明日ある人生」をどうやって私たちは生きて行くのであろうか。

朝食を終えて、新聞のTV欄をみたら、あたまがくらくらしてきた。
地上波というメディアはその歴史的使命を終えたような感じがする。
一昨日、次郎君のうちに遊びに行ったら、インターネットのフランスのTVニュースを見せてくれた。インターネット常時接続なのでBGM代わりに流しているそうである。
すでにオン・デマンドでニュースでも音楽でも映像でも好きなものをゲットできるようになった。
だとしたら、今後地上波TVに残されたものは何だろう?
たぶん、「ほかのメディアではくだらなすぎて放映できないもの」とCMだけだろう。
そういうふうにTV欄を見ると、たしかに番組のほとんどは「ほかのメディアではくだらなすぎて放映できないもの」のようである。
いま、私の周囲でTV業界に行きたいと言う学生はほとんどいない。
それでも「行きたい」という人は、いま放映しているような「ほかのメディアではくだらなすぎて放映できないもの」とCMが大好きなのであろうから、この傾向は今後加速度的に進行するはずである。
もしかすると、このさきTVは「実話系週刊誌」的なうろんなメディアとして、「そういうものが好き」な人(TVフリークスたち。「え、おまえ、TVなんか見てんの? すげー、ディープじゃん」的な)の支持を集めて、それなりの安定と収益を確保するのかもしれない。
よく、わからない。
今年の紅白歌合戦の番組を眺めて計算したが、出場56団体のうち、「私が知らない曲」が46曲、「アーティストの名前さえ知らない曲」がうち21曲だった。
これはびっくり。
いったい、いつのまにかの国民的行事がこんなに「ディープ」になってしまったのであろう。
たしか、1980年代のなかばごろまで、私は出場者の全員の名前を知っていたし、曲も半分は知っていた。
無理もない。
なにしろ、SMAPが出場10回なのである。
出場10回といったら、私が中学生のころの「春日八郎」とか「三橋美智也」の貫禄である。
SMAPが「春日八郎」である時代に、それよりもっと古い曲を聴かせろと私はいっているのである。昭和35年の紅白で松井須磨子に「カチューシャの歌」を歌わせろと文句を言っているおやじとほぼ同じスタンスに私はいるわけである。
つまり紅白歌合戦自体が変わったのではなく、私が老いたのである。
私がいちばん最近買ったCDは竹内まりやの『souvenir』である。(その前に買ったのはエルヴィスの『Rock'n'roll』であり、その前はサザンの『海のYeah!』である。)
これはおそらく私が中学生の頃における「李香蘭・全ヒット集」とか「バタやん・マドロス歌謡絶唱」とか「広沢虎造・東海遊侠伝」というようなものとほぼ等しい「時代物」と考えてよいであろう。(なんていうと竹内まりやさんや桑田ケースケさんには申し訳ないすけど)
で、勝手なことを申し上げますが、私が見たい「おじさんのための紅白歌合戦」の出場者を発表させていただきます。

はっぴいえんど・シュガーベイブ・YMO・サザン・ユーミン・RCサクセション・井上陽水・よしだ・たくろう・竹内まりや・大貫妙子・薬師丸ひろ子・矢野顕子・矢沢永吉・岡林信康・クレージーキャッツ

なんていうラインナップです。司会は大橋巨泉と青島幸男。
誰か企画して下さい。