12月21日

2000-12-21 jeudi

最近どうも武道の稽古が楽しい。
いつもだいたい楽しいのであるが、このところ無性に楽しい。
一年生相手のワークショップでは、基本的な動きだけを教えているのだが、非常に面白い。私が面白がっているのが学生たちにも伝染するらしく、みんななんだか夢中になって稽古している。
合気道部のお稽古ではさらにヒートアップ。いろいろなアイディアが次々と湧いてきて、「ああ、そうだったのか。そ、そうだったのか」と(ちょっと危ない)「ひとりうなずき」状態が続いている。
定期的にこういうことがある。ある「ステージ」をクリアーして、次の「ステージ」に切り替わるときである。
そういうときはちょうど、ジグソーパズルの90%くらいが埋まった状態と似ていて、残ったピースが吸い寄せられるように「かちり」と空隙を埋めてゆく。あるいは「神経衰弱」のおわりのころにも似ている。裏返しのカードが「全部見える」ような段階って、あるでしょ。
あれに似た感じである。
「浮き身」を遣うと上体が「無拍子」になりやすい、ということはこれまでも理屈では分かっていたのであるが、それを具体的な稽古プログラムとして構成する仕方が分からなかった。
それが杖道の稽古をすることで見えてきた。
杖の形稽古では、基礎的な段階で「浮き身」を遣わせる。それができないと「その先へはすすめない」ような基本の技法的課題として膝の遣い方をみっちり仕込むのである。
どうして、このような日常的には決してしないような膝の遣い方が「杖術の基本」なのか。どうして合気道では、そのような課題を要求しないのか。そのことを考えているうちに、合気道の基本の形もじつはすべて「浮き身」の膝を要求しているのではないか、それを単に私が見落としてきたのではないか、という疑念が湧いてきた。
そうやって考えてみると、四方投げも入り身投げも小手返しも、全部「浮き身」がどこかに瞬間的に入る。入れなくてもそれらのわざはできるのだが、入れると技の質ががらりと変わる。
技の「つや」のようなものが出てくるのである。
それが不意に分かった。
「つや」といってもエステティックな意味ではなく、「動作におけるなめらかな肌理」のようなものである。つまり、動作のあいだに切れ目がなく、動きに固定的な支点がなく、ある動作が完了する前に、それとまったく方向が違い、運動性を異にする動作がもう始まっている、というような場合、取りと受けのあいだに「ぬるり」とした、なんというか「怪しいもの」が出現するのである。
多田先生はこれを「甘み」という言葉で表現されたことがあった。
先生は呼吸法の鍛錬をつうじて、「技には甘みが出る」という言い方をされたが、私はまだその技法的なプログラムがうまく展望できない。しかし、身体技法的な「甘み」の出し方のひとつの手がかりが「運足」、とくに膝の遣い方と重心の遣い方にあることは分かった。
もちろん「膝の遣い方」が分かったというようなことで喜んでいるというのは「まだまだ」なのであるが、こうやって一つ一つ技法上の難題がきちんと定式化されてゆくというのは、とても楽しいのである。
技法上の難題が「解決された」ということが、ではない。「定式化」された、ということがである。
「これをクリアーすれば、その先へ進める」ということが「分かった」ということである。どういう稽古をすればいいのかが分かるということはとてもよいことである。
極端な話、できるできないは二次的な話である。技法上の課題とそれを攻略する道筋さえ分かれば、一月でいくか二十年かかる分からないけれど、いずれ必ずできるようになる。
というわけで20世紀の終わりにあたり、ウチダはいきなり武道に燃えているのである。

燃えつつ、甲野善紀さんの新作ビデオを拝見。
おおお、これは・・・私がやろうとしていることとなんだか似ているね。
ビデオの中で、甲野さんの動きの独特の「ぬるぬる感」をご本人はおもに腕と体幹の使い方で出しているというふうに説明されていたが、私には膝の遣い方が非常に巧妙であるように見えた。
いずれにせよ、肩や肘に支点を作らないという技法は甲野さんのビデオで教えてもらって、私自身この数年間工夫を重ねてきていることなので、体幹の遣い方についてもぜひ次の稽古に取り入れたいものである。
日本の体術の考え方は彼一人の出現によって大きく変わったと私は思う。その理由は技術的に卓越しているということだけではなく、(もちろんすごく「できる」人であるのだが)、甲野さんが、「自分が課題としているけれど、まだクリアーできていないこと」をむしろつよく意識しながら、現在の自分の「ポジション」を正確にレポートするという「情報開示」主義をとったことにある、と私は思う。
武道の流れを変えたのは、甲野さんともう一人黒田鉄山さんのこの「現在進行形で、技法の習熟過程を報告する」ディスクロージャーの原理である。
私はその点について、このお二人には深い敬意を払っているのである。
なんだか武道の話だけで終わってしまった。
20世紀のお稽古はあと一日だけ。何しようかな、いまから楽しみ。