12月20日

2000-12-20 mercredi

20世紀もあますところあと11日となってしまった。何か20世紀中にやり残したことはないだろうかとしみじみ考えたのであるが、これが「ひとつもない」のである。
われながらたいしたものである。
つまり、私は「したいこと」は sur le champ「その場でただちに」やることにしているのであるが、そのスタンスが貫徹された、ということをこれは意味している。
後悔には二種類がある。
「何かをしてしまった後悔」と「何かをしなかった後悔」である。
ふつう「後悔」というとひとびとは前者を思い浮かべる。
「ああ、あんなことさえ言わなければ・・・」とか「あのとき、酒さえ呑んでいなければ・・」とか「あのとき、ふっと魔がさすことさえなければ・・・」とか、ね。
しかし、それで友人を失おうと、免停をくらおうと、セクハラ訴訟を起こされようと、先物取引で全財産を失おうと、それらの行為はまぎれもなく「その人自身の欲望」がかたちをとったことの結果である。
つい口が滑ってともだちをなくす人は、心の中ではその人のことをもとから「ともだち」とは思っていなかったのである。酒を飲んで理性を失った人は、「呑んだら理性を失う」ということが理性的に分かった上で酔っているのである。「魔がさして」一線を踏み越えてしまう人というのは、「踏み越えたい」から「踏み越えた」のであって、誰も彼にそれを強制したわけではない。
潜在的欲望をご本人同意のもとに顕在化した、というだけのことである。
私はそのようなものを「後悔」とは呼ばない。
私たちの心を長い時間をかけて酸のように浸食して、私たちを廃人に追い込むような種類の「後悔」とは、「何かをしなかった後悔」である。
かけがえのない時間、かけがえのないひと、かけがえのない出会いを「逸した」ことの後悔、「起こらなかった事件」についての後悔は、それが起こらなかったがゆえに、私たちの想像を際限なく挑発しつづける。
私は16歳のときに、そのことを学んだ。
「後悔、後に立たず」と同級生の「小口のかっちゃん」は私に言った。
なんと含蓄深い言葉であろう。(かっちゃんには「鉄腕アトムうちに打て」という金言もある。これはよく意味が分からない。)
私はかっちゃんのアドヴァイスを受け入れ、とりあえず「あとから考えて『やらなかったことを』後悔しそうなこと」をかたっぱしから「やる」ということを生きる上での基本方針に採用したのである。
「あとから考えて『やらなかったこと』を後悔しそうなこと」というのは、要するに「期間限定的」なオプションである。
例えば「高校中退」というようなことは高校生にしかできない。決断のためにはあまり熟慮している余裕というものがない。即断即決である。
私は高校生活を心から愉しんでいたのであるが、「高校中退は高校生のときにしかできない」ので、とりあえずやめてしまったのである。
しかし、私はそのことをまったく後悔していない。
高校中退で勢いのついた私は、その後も、「やりたいことは即実行」「Tomorrow never comes」をモットーに、あらゆる「やらなかった後悔」の芽をつぶしつつ、今日に至ったのである。
昨日、借りてきた『ガキ帝国』を見ていたら、ラストまぢかに、68年の大阪ミナミのまちで、趙方豪君が機動隊員になったむかしの不良仲間ポパイに「おう、なにしとんじゃ」と話しかけ、「逮捕すっぞ、こら」と返されて、いきなり機動隊員の隊列のまんなかではり倒す、という場面があった。
なんだかすごく懐かしい気がした。よく考えたら、同じことを私もやったことがあったのを思い出した。
1970年の12月、何のデモだったか忘れたけれど、銀座通りをデモしたことがあった。
もう街はクリスマス気分で、こちらの気分もぱっと盛り上がらず、私は適当なところで隊列を抜けて、デモ隊を規制する機動隊の列のさらに外側をたらたら歩いていた。
すると、機動隊の分隊長みたいな指揮棒をもったおっさんが、立ち止まってトランシーバーでデモ規制の指示を出していたのに、ぶつかった。そのおっさんは20歳の私の前にでかいケツを向けて、傲然と道を塞いでいた。
私にはこの無神経なケツが「国家権力」の象徴のように見えた。
私は「即断即決」で、会心のトゥキックを機動隊隊長のアスホールにめり込ませた。彼はそのまま1メートルほど宙を飛んで、顔から街路樹の根もとに突っ込んだ。
私はあまりの蹴りのあざやかな決まり方にわれながら驚いた。
まわりの機動隊員たちも何が起こったのか、しばらくあっけにとられていた。
私は数十人の機動隊員の囲みの真ん中で隊長のケツを蹴り飛ばしたのである。
隊長が起きあがって「そいつを逮捕しろ!」とどなって、私も隊員たちも我に返った。
私はそのあと生涯最高のスピードで銀座通りを駆け抜けた。
いちど、一人の隊員の手が私のコートのフードの部分にかかったが、さいわい、マグレガーのダッフルコートのフードは「取り外し自由」のボタンがついていたために、ボタンをぜんぶ飛ばして、フードだけを彼の手に残して、私は銀座四丁目のかどを有楽町方面に逃走しおおせたのであった。
30年前のいまごろのことである。
あのとき「即断即決でケツを蹴った」ことによって私はこういう人間になった。
「熟慮の上、蹴らなかった」場合、私がどのような人間にその後なったのかはうまく想像できない。
今の私よりたぶん「感じのいい人」になっていたとは思うけど、それは「私」ではない。


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