12月15日

2000-12-15 vendredi

懸案のイベントが一つ終わったら、気がゆるんだらしく、風邪をひいてしまった。
朝いちに庶務課に電話して「げほげほ今日は風邪をひいたので休講掲示おねがいします」と伝言して、ベンザエースを呑んで、そのままふとんに潜り込んだ。
風邪のひきはじめに、悪寒のする身体で、あったかいふとんにくるまってマンガなんか読んでいると心底「しあわせ」な気分になる。
仕事をしなくても、自分に「いいわけ」をする必要がないからだ。
だって風邪なんだもん。
さっそく山岸涼子の『アラベスク』を読む。
『アラベスク』は15年くらいまえに読んだのであるが、離婚のときの財産分与で、『エースをねらえ』が私のところに来た代償に先方の所属に帰したのである。そのままに日々を過ごしてきたが、先般キーロフ・バレエ団の『白鳥』に度肝を抜かれたウチダとしては、バレエの勉強をやりなおすために『アラベスク』全四巻を新刊で買い揃えたのである。(なにしろ、ここから私はバレエについてのすべてを学んだのであるから)
読んでびっくり、なんとノンナはレニングラード・キーロフ・バレエ団のバレエ学校の生徒さんだったのである。知らなかった。
なつかしいユーリ・ミロノフ先生や、エディークに再会して、しあわせな2時間を過ごす。

『アラベスク』の前に、この3日ほど「寝る前の本」は山本鈴美香先生の『エースをねらえ』であった。(私は手塚治虫先生と長谷川町子先生とやまもと・すみか先生にはつい敬称をつけてしまうのである。)
『エースをねらえ』を読み返すのは10回目くらいであるが、ほんとうに完璧なマンガである。私は「師弟関係とは何か」について、武道の修行のあり方について、このマンガからすべてを学んだ。(なんでもマンガから学ぶやつである)
そして、全編にちりばめられた珠玉の言葉。

「藤堂、女の成長をさまたげるような愛し方をするな。」

私はこのフレーズを20代から何度心の中で繰り返したであろう。

「コーチ、私にも私のテニスを教えて下さい」
「俺はその言葉を七ヶ月待った」

というのもずーんとくるね。

「ひろみ、なんなの、その目は」

なぜか、このフレーズも忘れられない。
やまもと・すみか先生はその後懇望されてあまり気乗りしないまま『エースをねらえ・第二部』を書いたが、これは残念ながら一部の完成度には遠く及ばない。
その後、先生は故郷にかえって「教祖様」になってしまった。
その何年かのちに、ある出版社の編集者が三顧の礼をつくして先生のカムバックを願ったことがあった。執拗な依頼に折れた先生は数年のブランクののち、『エースをねらえ・第三部』の執筆にとりかかった。(このことは巷にはほとんど知る人がいない。私はあるマンガ誌編集者から「とっときの業界情報」として教えてもらったのである。)
そして、この『エースをねらえ』第三部の第一回目の原稿を手にした編集者は意気揚々と東京への帰路につき、山の手線で社に向かった。しかし、あろうことか、彼は突然の睡魔に襲われる。そして、自分の下りるべき駅のアナウンスを聞いて、はっと目覚め、電車から飛び降りたのである。かたわらのバッグに山本先生の原稿を残したまま。
こうして幻の『エースをねらえ』第三部は大都会の雑踏のなかに消え失せ、山本先生はその後、どの出版社からの懇請に対してももう二度と絵筆をとることがなかったのである。
マンガより面白いね。この話は。