12月5日

2000-12-05 mardi

フジイ君が豆大福とカリントウをもって来る。
私が「あんこもの」に偏愛を示すということをまだ記憶していてくれたようだ。ありがたいことである。
氷雨の御影駅前「高杉」にて仏蘭西洋菓子と珈琲を喫しつつ久闊を叙す予定であったが、るんが乱入しているために、しみじみとした師弟の会話は二秒おきにるんの「下北沢」および「インディーズバンド」話題によって寸断される。
寸断された対話内容を継ぎ合わせると、フジイ君はかなり「社会化」を成就してきたようである。
彼女の口から「自分の生活している、という自信もできましたし」という言葉を聞こうとは・・・学生時代は「生活」実感にとぼしく、「自分が生きていることにリアリティが感じられない」フジイ君も三十路を前に「生活者」らしい厚みを備えたパーソナリティを構築しつつあるようである。老師の眼に涙、である。
短い会話だけでフジイ君は東京へ帰っていった。
るんがしみじみと「フジイって、ほんとにいいやつだね」
お父さんもそう思うよ。

マーチン・スコセッシの『救命士』を見る。
ニコラス・ケイジはよい。
デヴィッド・リンチの『ワイルド・アット・ハート』で「おお、これは誰だ。変な顔」と思って以後、偏愛している俳優のひとりである。
ニコラス・ケイジの映画では、『リーヴィング・ラスベガス』がよかった。
「ひたすらお酒を飲み続けて自殺する何となく感じのよい人」というむずかしい役である。
「ディセントな酔っぱらい」というのは秩序に最初の亀裂をもたらす「物語の進行役」である(テリー・レノックスやギャッビーがそうだ)という論を前にしたことがあるけれど、その意味で『リーヴィング・ラスベガス』は進行役だけがいて、主役のいない不思議な映画であった。映画の中心に巨大な「中空」があるようなあの映画の印象はそのせいだったのかもしれない。
ニコラス・ケイジはそういう「うつろな感じ」をいつもたたえている。
その「うつろな感じ」は「欠落感」というよりもむしろ「フレンドリーな感じ」として機能している。つまり、「誰かここに来て、ぼくのあなぼこを埋めてくれませんか? あ、べつに厭ならいいんですけど・・・」というようどこか遠慮したような痛々しさのようなものが漂っている。
『救命士』はそういうニコラス・ケイジの「持ち味」だけで2時間ひっぱった映画。
この人が演じると、どんな支離滅裂な行動もなんとなく説得力をもつようになる。
でもその俳優の力によりかかりすぎた映画だった。

マーチン・スコセッシの映画をもっと見たくなったので、『ラストワルツ』を引っぱり出す。
私の偏愛するバンド、ザ・バンドの解散コンサート(1976年)のドキュメンタリーである。ゲストがニール・ヤング、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、マディ・ウオーターズ、ジョニ・ミッチェル・・・
やはりニール・ヤングがこういう解散イベントもののときはいちばん光る。
「移ろい消えてゆくもの」への哀惜というのがニール・ヤングの音楽の根本にあるせいかもしれない。たしかにエリック・クラプトンががんがんギターを弾いても、あまり「しんみり」した気分にはならない。
ザ・バンドはボブ・ディランのバックバンドをしていたので、単に「バンドの兄ちゃんたち」という意味で「ザ・バンド」と呼ばれていたのがグループ名になったという全体に「なげやり」な態度のひとたちである。
ギターのロビー・ロバートソン以外全員の「わしら好きな音楽さえできれば、あとはどーでもええけん」的な反社会的演奏態度に私は好感をいだく。とくに私はドラマーのリヴォン・ヘルムのヴォーカルが大好きである。
リヴォン・ヘルムはこのカナダ人バンドのうちただ一人のアメリカ人、アーカンソーの田舎の人である。しかし、ロックのヴォーカルはやはりディープサウス特有のこの泥臭い「鼻声訛り」でないと味がでない。リヴォン・ヘルムがリード・ヴォーカルをとる『ライト・アズ・レイン』は実によろしい。(石川君が作ってくれたコンセプト・アルバム「雨の歌」のなかにもちゃんとこれは収録してある。)

泣きたくなったので、(って哀しいからじゃなくて、純粋に身体的要求として)、木下恵介の『二十四の瞳』を借りて見る。
始まって15分くらいで、子どもたちが「大石せんせー」とバスに駆け寄るところで、もう涙。
しかし、そのあとはぱたりと涙は絶えてしまった。
というのも、これはぜんぜん「師弟の美しく生産的な交流」を描いた映画ではなかったからである。
これが昭和29年度文部省特選映画ということが私には信じられない。文部省は何を考えていたのだろう。
だって、「学校にも教師にも人は救えない」というのがこの映画の主張なんだから。
大石先生の小学校は戦前には社会教育を「アカ」と恐れて放棄し、戦中には軍国教育を押し進め、厭戦気分を語る大石先生を退職に追い込む。
大石先生個人も善意のひとではあるが、徹底的に無力である。
貧困のために小学校なかばで売られる子どもを救うことができず、音楽学校に進みたがる子どもを抑圧する親の頑迷を弱々しく追認し、卒業した男子五人のうち三人が戦死し一人が戦傷で盲目となる事態にも、墓に香華を添える以外に何ひとつすることができない。
彼女の教育者としての一生は「教え子たちに何もしてやれなかった」という慚愧の念のうちに閉じられることになるだろう。
この無力な教師に対して教え子たちが送る「仰げば尊し」の歌は、日本の学校教育の無能に対する静かな怒りを込めた吐息のように私には聞こえた。