鈴木晶先生との「メル友交換日記」の原稿を書いている。
鈴木先生と私は多くの共通点がある。
先生は教駒、私は日比谷という進学校を出て(私は出てないが)、東大の文科3類に一年違いで入学し、先生はロック、私はジャズのバンドをやり、反時代的な文学研究にすすみ、結婚して娘が一人(私は離婚したが)、翻訳が大好きで(出版冊数はだいぶ違うが)、美酒と美食をこよなく愛し、時代遅れの喫煙家で、海の見える街に住んで、大学で本業以外に教えている教科が先生は「舞踏」、私が「武道」と一字違い。「精神分析による物語論」が最近の研究テーマで、同じ頃にホームページを開き、同じ頃にそれぞれのホームページをのぞいて、「おおワッタスモールワールド」とびっくりしたところまで同じである。
その鈴木先生の今日の「電悩日記」によると、日本ラカン協会というものが創設され、先生はその設立総会において、講演をされた由である。
私は前に「日本反ラカン協会」というようなものがあり、そこで「私はラカンが分からない」と泣いている人たちが愚痴を言ったり、「なんてことねーよ、ラカンなんて要するに・・・といっているだけなんだよ」と切り捨て御免を試みたりするひとがわいわいとやっているのであれば、私はそこの学会誌を講読してもよい、と書いたことがある。(入会はしないけどね)
しかし、ラカン協会に先を越されてしまった。
そこでは「ラカンが分かる人」たちがやわらかなほほえみをかわしつつ、深くうなずきあっているのであろうか。(ああ、うらやましい)
しかし、どうやらそういう集まりとはちょっと違うようである。鈴木先生のご報告を引用させていただこう。
「ラカン協会にはさっそく入会した。理由は簡単、ラカンはワカランので、勉強したいからである。しかも、これはラカン派の集まりではなく、幅広い視野に立ってラカンを研究しようという趣旨の協会だからである。ラカン派の集まりだったら、入会するつもりはないし、そもそも私なんぞに入会の資格はないだろう。(…)
ともあれ、この講演の準備で、ここ一週間は憂鬱であった。何を話したらいいだろうと悩んでいたのである。学生向けにラカンの解説をするというなら簡単である。しかし、今回の聴衆はほとんどがラカンの研究者である。その人たちに向かってラカンの話をするというのは、私のような外部の人間にとってはなかなか度胸のいるいることである。
そこで、ラカンが唱えた「フロイトの読み直し」ということについて、文学研究者の立場から話すことにした。 でも、講演というのは面白く、楽しくなければいけない。そこで、内田樹先生がラカン派に対して投げつけた激しい批判の言葉(これは近々出版される内田先生のウェブ日記に収録されている)を引用することにした。ひとつは樫村愛子さん、ひとつは藤田博史さんの著書に対する批判の中の言葉である(会場に行ってはじめて知ったのだが、講演の司会は樫村さんであった)。わざとラカン派の逆鱗に触れるようなことを言ってやろうと考えたのである。どんな反応をするだろうかと楽しみにしていたのだが、憮然とするかと思いきや、みんな屈託なく大笑いしていた。
ラカン協会が設立されたのであるから、そろそろ内田先生が反ラカン協会を設立されることであろう。
「定式化されたものに対しては、巻き込まれるか、放っておくことしかできない」というラカンの有名な言葉がある。ラカンはワカランという人は多い。わからないとき、とるべき道は二つである。ひとつは知らないままで済ますこと、もうひとつは理解しようと努めることである。
私が採択した道は後者である。なぜならラカンは面白いのである。ラカンのトポロジーはソーカル&ブリクモンの世紀の傑作、『知の欺瞞』でも俎上に挙がっていたが、たしかにラカンがもちだす数学はかなりいかがわしい。いや、彼の言っていることはすべていかがわしい。でも「なるほど!」と思わず膝を叩いてしまうことが多々あるのである。何よりも、彼の思想は借り物ではない。
私にはすでに人生の後半生というか、晩年を生きているという意識があり、半分ご隠居さんの心境なので、「酒とバラ」ならぬ「酒とバレエ」の日々を送っておるのじゃが(つい、老人口調になってしまう)、もう少し勉強してみようという気にさせる人物のひとりがラカンなのじゃ。」
さすが、鈴木先生は「大人」なのじゃ。
先生が他人の仕事を評価するときの規準のひとつは、そのひとのアイディアや方法が「借り物」であるか、ないか、ということである。
これは卓見であると私は思う。
ラカンがよく分からないけれど、ところどころ分かるところがあって、それはめちゃめちゃ面白い、という点については私もまた先生にふかく同感するものである。
私がラカン派のひとたちにお願いしていたのは、(「『お願い』というにはちょいと言葉が過ぎるんじゃねえのか、おい」というご批判もあろうが)「ラカンの思想を『借り物』でない、あなたの言葉で語ってみてはくれないか」ということであったのだが、どうやら日本ラカン協会は鈴木先生をむかえて、そのような前向きの方向へとふみだしてくれそうである。ありがたいことである。
(2000-11-28 00:00)