11月21日

2000-11-21 mardi

週末は合気会奈良県支部の創設35周年記念行事があり、神戸女学院合気道会のメンバーはぞろぞろと奈良県橿原へ。
奈良県支部は、自由が丘道場時代の大先輩窪田育弘師範が創設された道場で、いまや傘下に十余の道場を擁する一大ネットワークである。その名門道場の周年行事であるので、たいへんにぎやかである。
植芝守央合気道道主、多田宏先生、多田塾門下の各道場からのデリゲーション団、近畿一円の各道場、海外の諸道場からのゲストたち・・・と窪田師範の人脈の広さを窺わせるスケール。
うちは単一団体としてはおそらく最大規模のべ40名を二日にわたる行事に送り込んだ。多田塾同門の道場は、関西には奈良県支部とうちだけであり、いわば奈良県支部は「近所に住んでるお兄ちゃん」であるから、ぞろぞろゆくのは当然なのである。

初日は多田先生の講習会。
今年は広島県支部での講習会、多田塾合宿と、多田先生のご指導を親しく受ける機会に恵まれ、神戸女学院合気道会一同はたいへんハッピーであったが、一年の終わりにこういうかたちでまたも豊かな経験ができた。
貴重な機会を提供して下さった窪田師範と奈良県支部のみなさんには言い尽くせぬほどの感謝の気持である。(さっそく頂いたポロシャツを着て、これを書いている。背中に 35th Aikido Nara-ken-aikikai とプリントしてある。日曜日の講習会に出た人に全プレ。なかなか着心地よろし)
夜の直会では学生たちとともに多田先生を取り囲んでお話を伺う。
来年の神戸女学院合気道会・神戸女学院大学合気道部10周年記念行事の日程もその場で決まる。(5月3日、4日。3日に多田先生の講習会、4日に演武会と総合説明演武)
ついに、悲願成就である。
これまで本学に多田先生をお呼びしようとしたことは二度あり、二度とも日程の調整が不調で流れたのである。一度などは会場もホテルの予約も済み、学内にポスターまで貼ったあとにキャンセル。一同の落胆は大きかったのである。
今度は三度目の正直。多田先生の年間スケジュールに入れてもらったから、もう大丈夫。
私は直会で多田先生に「武道の競技化」についてのご意見を伺う。
いま書いている論文のわりと大事なところなのである。多田先生がどういうご意見であるかはだいたい聞き知っているつもりだったが、やはりちゃんと確認しておこうと思って伺うことにする。
武道の競技化は武道の退化である、という実にきっぱりとしたご意見を拝聴して、心を強くする。
直会のあと、先生のお供で来た早稲田合気道会の原君、東大気錬会の工藤君、うちの「客分」の気錬会OB高雄君、ウッキーとホテルの近くの居酒屋で軽く二次会。若い人が相手だとついうれしくなって、どんどん呑んでしまう。

二日目は講習会と演武会。
演武会には懐かしい顔が一堂に会する。東京から日帰りで来ている人もいる。同門の先輩後輩たちは実に律儀である。
自由が丘道場が来年40周年。11月23日に記念の講習会をやるそうだから、一年後には諸兄とまたお会いできる。楽しみである。
演武会では、道主、多田先生をはじめとする気合いの入ったみごとな演武を堪能する。
うちからは林佳奈、江口さやかの新旧主将と、私と高雄啓三君が演武をする。
女子の演武は華麗であったが、自分の出来はよく分からない。ま、いいか。今回は二日酔いではなかったし。
というわけで、さらにあれこれとあるのだが、全部書くのもたいへんだし、合気道を知らない人は読んでもぜんぜん面白くないであろうから、これにておしまい。


昨日の夜はずっとTVを見ている。
加藤紘一、山崎拓の造反劇の顛末を見ていたのであるが、夜の9時からのゴールデンタイムにワイン片手に「国会中継」を見ているというのは、考えてみたら、私はうまれてはじめての経験である。
内閣不信任決議案の趣旨説明というのをはじめから終わりまで聞いたのもはじめてである。
いやー。面白いね。
るんが、鳩山さんに「そうだそうだ、いけいけー」と声援を送り、反対演説の中馬弘毅に「何言ってんだ、ねぼけんなー。おやじー」と罵声を送っている。
これをして「政治参加」といわずして何と言いましょう。
途中で松波健四郎が水かけたり、加藤さんがなきべそをかく図像が入ったり、実に楽しい3時間であった。
加藤さんは久米宏にも筑紫哲也にも、「腰砕けやろう」とうふうにずいぶん悪く言われていたようであるが、ワタシ的には、「ふりあげたこぶしが腰砕け」というところまで含めて、これだけ楽しませてもらったので、お礼を言いたいくらいである。
やはり、こういうことは誰かがリスクを負ってやらないといけない。
「リスクを負い切らなかった」という批判が多いけれど、「リスクをちょっとだけでも負った」という点をほめてあげてもいいじゃないか、と私は思う。
加藤さんをあまりけなすと、結果的には「自民党から第二第三の加藤が出てくる」というエンターテインメントの芽をつぶすことにはならないだろうか。
やはり、ここはみんなで加藤さんに拍手をしてあげて、「いや、結末はまずかったけど、途中までは面白かったよ」ということにしておけば、「じゃ、次は私が・・・」というお調子ものが出てくるのではないかね。
私は密室政治というのが嫌いであるが、それは「手法として陰湿」とかそういう意味だけではなく、密室での談合では「政治家のバカさ」がはっきり見えない、という点が困るのである。
それは私が大学の教師は定期的に論文を書く可し、といっているのと同じ理由である。
私は大学の教師ならそれにふさわしい「賢さ」を示せ、と言っているのではない。(そんなこと誰も期待してない。)そうではなくて、「頭の中身」を満天下にばらして、どの程度の知性の持ち主が大学の教師をやっているのか、みなさんによく知っていただくほうがシステムの健全のためにはよい、という「情報開示」の精神でそう申し上げているのである。
政治的オプションの決定プロセスがオープンになることは、たいへんによいことである。
政治家の知的資質や、倫理性がメディアに露出するのは、たいへんによいことである。
政治家はすべからく、その頭の中身と腹の底を満天下にさらして、どのような人間が国政を担当しているのかをみなさんによく知っていただくべきである。そのほうが、隠蔽するよりも、システムの健全な機能に資するところが大きいであろう、と私は考えている。
その意味では、今回の騒動のおかげで、加藤紘一という政治家がどの程度の器量の人物であるかが分かったし、山崎拓というひとがまるで自主性のないひとだということもよく分かったし、小泉純一郎が存外策士だということも分かったし、野中広務が自民党を実質的に支配しているということも分かったし、そしてなにより森総理という人がまるで、ぜんぜん危機管理能力がない、ということもよく分かった。
そういう意味で今回の政局は情報開示の好個の見本であるかに思うのである。
というわけで加藤紘一さんにザブトン一枚。