11月16日

2000-11-16 jeudi

研究所に白井亨の『兵法未知志留辺』をコピーしに行ったら、真栄平先生がいて、話し込む。
真栄平先生は日本近世史、とくにアジア交流史がご専門の碩学である。
先生はものすごく頭の良い人なので、こちらが尋ねたいことをわずかなキーワード入力で一発で読み当て、必要な情報をたちどころにアウトプットしてくれる「歩く日本史百科」である。
だから、先生とおしゃべりをすると、なんとなく「賢くなった」ような気になれる。たいへんありがたいお方である。
大学という制度にはいろいろ問題もあるが、こういう人が隣近所にいつもいるという点はじつに便利である。

今日お尋ねしたのは「川勝平太の『鎖国論』は梅棹忠夫の『生態史観』の学統を継承した発想ではないですか?」という、ちょっと前から気になっていたことである。
真栄平先生は当たり前のように「イエス」とお答えになった。
そこで先生にあれこれ質問する。

「どうして、江戸時代の徳川幕府の統治システムが『前近代的遺制』ではなく、効率的で、超近代的な可能性を含んだものであった、というような歴史評価の逆転が近年になって急にさかんになったのでしょう?」

真栄平先生のお答え。

「日本史研究は一貫して『農本主義的』な発想に立っており、すべての歴史的変化は農業生産の現場から始まるというかたくなな思い込みに領されていたのです。それゆえ、実証的な歴史研究は荘園制度や小作制度など農業生産様式とそれにかかわる法制の研究に集中していたわけですね。
しかし、日本には農業生産者だけしかいなかったわけではありません。
中世史の網野善彦は従来の歴史家が見落としてきた遊行する存在に着目し、中世、近世の日本社会には、土地に縛られた生産者だけでなく、移動することによって社会的に活動している人々がいたことを明らかにしました。
網野の仕事を契機にして、中世近世の日本は、これまでの歴史家が記述してきたような、閉塞的で繋縛的な社会構造だったのではなく、けっこう自由でフレキシブルなシステムだったという考え方がさかんになってきたわけです。」

「じゃあ、その到達点が江戸時代再評価、『パックス・トクガワーナ説』だというわけですね?」

「そうですね。pax tokugawana 説とは、梅棹の生態史観を下敷きにして、『第一地域』の西欧と日本では、それぞれ別の政治システムが発達し、日本では江戸時代にピークを迎えた、という考え方です。」

川勝平太によれば、「ヨーロッパは、大西洋を『われらが海』となし、環大西洋圏で物産を需給する『近代世界システム』を作り上げることによって輸入代替に成功し、自給を達成した」それと同時期に日本は鎖国体制を完成させた。
つまりヨーロッパの産業革命とほぼ同時期に、日本は「鎖国」を物的に裏付ける自給自足体制を完成し、それまで旧アジア文明圏から輸入していた物産をほぼすべて国内土壌に移植して物産の国内自給を達成したということになる。
ヨーロッパは ヨーロッパは広大な土地に資本を投下する「資本集約型」、日本は狭い土地に労働を投下する「労働集約型」と、それぞれ生産革命の形態は違うが、いずれもこの生産革命によって、貨幣素材の海外流出が止まった。
ヨーロッパと日本の違い(つまり「近代世界システム」と「鎖国」の違い)は、ヨーロッパが開放系であるのにたいして、日本が閉鎖系である点にある。物資の需給システムが、開放系は貿易に依拠し、閉鎖系は国内交易に依拠するという違いである。
近代世界システムとは、国際関係論の用語を借りて言えば「ウエストファリア・システム」つまり、国家主権の覇権闘争システムのことだ。
このシステムのいちばん根っこにあるのは、国家主権の発動の手段として「戦争をすること」は国際法(という発想そのものがこの時代に生まれた)に照らして正当であるという発想である。
これに対して、パックス・トクガワーナ・システムでは、はそもそも「国際法の下で平等な諸国が競合的に並立する」というスキームそのものを受け付けない。
パックス・トクガワーナ・システムの国際関係理解は、中国と朝鮮から伝わった「華夷秩序」あるいは「文明と野蛮パラダイム」である。
「華夷秩序」については川勝の説明をそのまま引こう。

「華夷秩序は、明、清中国、さらに李氏朝鮮などからなる東アジア世界を律した国際関係であり、冊封体制と朝貢貿易を二つの柱とする。中国に朝貢し、中国皇帝から国王として冊を封ぜられた者が交易を許されるシステムである。」(川勝、「鎖国を開く」、8頁)

華夷秩序においては、朝貢する国は、自国の特産品を宗主国に納め、その見返りに莫大な回賜品を受け取る。
つまり、「華」であるものは、形式的な主従関係の代償に、物質的には物的贈与を行うことによって「夷」である隣接集団との安全保障を確保する、というのが華夷システムなのである。
これは相互に平等な国家主権が「戦争と平和」のゲームを国際法上で展開するウエストファリア・システムとはまったく国際関係理解を異にしている。
川勝の主張は、この華夷秩序は「ポスト・戦争・パラダイム」の有望なモデルとなるのではないか、という点にある。

「『鎖国』や『海禁』は自国の文明を相手に押しつける民族同化主義とは正反対の姿勢であり、民族の『住み分け』として読みかえることもできるだろう。(…) 地球という限られた存在を考えるとき、『鎖国』という有限世界のなかで培われた異なる国(藩)同士が互いに住み分けていた知恵には学ぶべきものがあるだろう。民族は交流しつつも住み分けうるという展望を持つことができるのである。」(232頁)

なかなか大胆な理説である。

「どうです、真栄平先生、川勝鎖国論をどう見ます?」
「うーん。どうかなあ。徳川時代の統治システムのもつ権力的、抑圧的な側面への目配りがちょっと足りないのではないですか。ぼくは、ちょっと川勝さんにはついていけないですね」

なるほど。
ながながと書いて申し訳ないが、ほんとに五分間でこれくらいしゃべったのである。本一冊分くらいの情報を頂いてしまった。あたまのよい人のお話をきくのはほんとに効率的である。
先日、「水戸黄門」話のついでに、徳川の統治システムの有効性について、大衆的なメンタリティはそれに無意識的に同意している、ということを書いた。
であるとすれば、「徳川時代の統治システムこそ、21世紀のグローバル・スタンダードになるかもしれない」という川勝鎖国論が俗耳に快い響きをもたらすことは怪しむにたりない。
だって、それって「ウェストファリア・システムの水戸黄門化」のことなんだから。
あれ、なんか、昨日も同じようなことを書いていなかったかな?
これって、私の潜在的願望なのかな。
「世界の日本化」。