11月22日

2000-11-22 mercredi

昨日の大学院の演習では川島武宜の『日本社会の家族的構成』を読んだ。
川島先生は私がもっとも尊敬する日本人学者の一人である。(私が「東大教授」に敬意を抱くというのは、ものすごくレアなことである。)
『日本人の法意識』を読んだのは20代の終わりのころであった。
その本は私に深い衝撃を与えた。
「ものすごく頭のいい日本人」が書く、異常にクリアカットな文章を読んだ、これが最初の経験である。
川島の文章はほとんど詩的明晰性に達していた。
私はその足で大学の図書館に行って、川島武宜の法社会学全集を一巻から順番に借り出して読んだ。
大塚久雄と土居健郎との鼎談『「甘え」と社会科学』で、川島はこの二つの知性を相手に、驚くことに、噛んで含めるような「啓蒙」を行っていた。
川島武宜はおそらくその時代において自身を「日本でいちばんすぐれた知性」だと自負していたはずである。
「日本でいちばんすぐれた知性の持ち主である」という自覚は本人にとっていかなる経験なのであろうか。
私にはうまく想像できない。
川島の仕事に対する他の誰の評価も、川島自身のおのれの仕事に対する評価の厳密さに及ばない、というのはどういう経験なのだろう。自分の仕事の「意味」をほんとうに理解している人間が自分しかいない、というのはどれほど孤独なことなのであろうか。
川島の内面は私の想像はとおく及ばないが、ともあれ、「誰にも私の深さは理解されないだろう」という断念から出発した知性が選び取った文体はすばらしく明晰な「啓蒙」の文体であった。
私はこの文体を愛する。
私たちは「自分が賢い」ことを示そうとすると、必ず韜晦する。
経験が私たちに教えているのだ。
欲望を実現したければ、欲望を隠せと。
権力を示したければ、権力を行使するな。
知性についても同じことがいえる。
何を言っているのかよく分からないことを言う人間に私たちは畏怖の思いを抱く。
その経験知からなかなか私たちは自由になれない。
川島の文体にはそのような「陰翳」がない。
「深み」や「奥行き」を示すような「襞」はそこから周到に排除されている。なぜなら川島には「自分が賢者である」ことを示す必要がないからだ。(だって、川島自身がそのことを「知っている」のだから。それこそ誰に保証されるよりも確実なことなのだ。)
川島は自分が知っていることのうち、読者が緊急に学び知らなければならないこと「だけ」を厳選し、精密な語法で、噛み砕いて、語る。
それを私は「啓蒙の文体」と呼ぶのである。
それは「分かり易い」文体ということでは尽くせない。
それは、完全なコミュニケーションを断念したものだけが獲得しうる、ある種の「哀しみ」をたたえた文体なのである。これに類するものとして私は漱石のエッセイの他に多くを知らない。