11月15日

2000-11-15 mercredi

大学院の演習の今日の教材は梅棹忠夫の『文明の生態史観』。
1957年の論文だが、そこで梅棹が立てている仮説は40年以上たっても、かなりてごわく有効であるように思われる。
梅棹はある地域においてどのような社会制度が発達するかについて、歴史的条件よりもむしろ「風土」の重要性に配慮している。(そういう点では和辻哲郎と発想は似ている。)
気候、地質、地形、動植物相、そういった生態学的な条件がそこに住む人々の生活のデザインに影響を与えるのはたしかに当たり前といえば当たり前である。
だが、梅棹の卓見は「第一地域」(西欧と日本)と「第二地域」(ユーラシア大陸のそれ以外の地域)は風土の条件が違う、ということを指摘したことにあるのではない。
そうではなくて、「第一地域」は「風土」にあまり繋縛性がなく、そのためにそこに暮らす人々は「風土の制約」から比較的自由であり、「第二地域」は「風土」に強烈な個性があるために、人々は「風土の制約」から脱却しにくい、という点に着眼したことにある。
どちらの地域でも、歴史的条件の変化にともなって社会構造は変化することに変わりはない。しかし、「第一地域」では「変化の仕方が急激に変化する」のである。
明治維新以後の日本と、阿片戦争以後の清帝国の差は、「変化の仕方の差」である。
日本は「西欧化」をある程度果たした。中国や朝鮮はそれに遅れた。その違いは、日本が「西欧化」を受け容れる「インフラ」があらかじめ整備されていたとか、「西欧化」というヴィジョンにはじめから親和的であった、ということではないだろう。
歴史的条件の変化に即応して変貌しうるシステムそのもののフレキシビリティ(つまり「風土の制約からの開放度の高さ」)が日本の「近代化」をおそらくは可能にしたのである。
梅棹の生態史観は、風土決定論であるように見えて、そうではなく、「風土」の違いが「風土から自由になる度合いを決定する」という「一回ひねり」の風土論である。そのように私には読めた。(って、いうか、ほんとは「盗聴生」飯田先生のアイディアなんですけど。すみません、パクって。)

人間を例にとって考えよう。
知的な人間と知的でない人間の差は、知識の量にあるわけではない。
無知というのは「情報の欠如」のことではなく、「情報の欠如の見落とし」のことである。
私の知る限り、無知な人間のあたまには膨大な量のゴミ情報が詰まっている。
そのゴミ情報の過重負荷によって、その人の情報処理システムそのものがうまく機能しなくなっているという「情報」が読み落とされている事態が「無知」である。
仮に、国際政治について膨大な情報をもっている人がいるとする。
ところが、彼はそのすべてを「ユダヤ人の世界支配の陰謀」というスキームに基づいて処理している。

「お、南アフリカで政変か。デ・ビアスが一枚噛んでいるな」
「お、タイの米相場が動いたな。ジョージ・ソロスが糸を引いているな」
「お、パレスチナで争乱か。シオンの長老の陰謀やな」

こういう人は(実際に存在するが)日経からCNNから『噂の真相』まで読破しているにもかかわらず、彼自身の「ものの見方」を修正するような情報の取り込みを構造的に遮断している。
これを私は「無知」と呼ぶのである。
知性とは、おのれ自身の情報処理システムの「不調」を最優先的に検出する運動性のことである。

「あれ、おれって、何か、何見ても『ユダヤ人の陰謀』に見えてんじゃねーかな? これ、やばくねーかなあ?」

というような「あれ?」が知性の機能である。

「だけど、この『あれ?』という気づき方にも、なんか俺の場合、一定のパターンがあるような気がするけど、気のせいかなあ?」

というような自己懐疑が知性の機能である。
自分の発想法そのものの定型性について優先的に危惧し、さらに「自分の発想の定型性を優先的に危惧するような反省の仕方そのものの定型性」を危惧し、さらに・・・
というような「タマネギ」的自己言及にはまりこんでしまうのが「知性という症候」なのである。

で、話を戻すと、梅棹の言っている「第一地域」と「第二地域」の違いというのは、「社会システムの変化の仕方そのものを変化させようとする精神」と、「社会システムは変化するのだけれど、変化の仕方そのものはあまり変化させる気がない精神」の差、というふうに言い換えることができるのではあるまいか、というのが私の意見である。
たとえば、中国の現代政治システムは清王朝の政治システムとずいぶん違っているし、市場経済のあり方も200年前とはずいぶん違っているが、「中央政府の理念的な経済政策と民間の現実の市場経済の動きのずれがシステムの変化をもたらす」というパターンはあまり変わっていない。
どちらが「進歩的」かとか、どちらが「より民主的か」とかいう問題ではなく、社会制度が変わるときに、「システムだけが変わる」社会と「システムを変える仕方も変える」社会があって、それはずいぶんその後の社会のデザインの仕方が変わってくる、といことは言えそうである。
これはレヴィ=ストロースが言っていた「熱い社会」と「冷たい社会」という二類型にも少し似ている。
日本はどうなのであろう。
梅棹説が正しければ、日本は「システムを変える仕方そのものを変える」という仕方で社会制度の「遷移」を遂げてきた社会のはずである。
そういえば、国家的ヴィジョンの提出が急であるような政局において、「選挙制度の手直し」や「次の首相の選出手続き」といった「システムの変え方」をめぐる議論にほとんどの政治家のエネルギーが集中している社会というのは、たしかに世界史的にもすごくユニークであるような気がする。
選挙後の「集計作業」に全世界が注目しているアメリカ大統領選挙というのも、そういう視点から言うと「変化の手続き」が「変化そのもの」よりも焦点化している社会だということになる。
これを「アメリカの日本化」と言ったら、アメリカの人、怒るかな?