11月7日

2000-11-07 mardi

学祭、打ち上げ大宴会、有馬温泉「親孝行」ツアー(とか言いながら、宿代もビール代も親に払わせている50男です、私は)、文部省陳情ツアーとめまぐるしい日々が続いている。
陳情ツアーは大学院の博士課程増設のための事前協議である。
一昔前は、文部省の若い担当官がえばりちらして、大学の偉い老学者先生が土下座まがいの対応をさせられる「お白州」的なパフォーマンスであったらしい。
人間科学部の新設認可がおりたあと、当時の滝野学部長が「もう一度生まれ変わっても、二度と文部省に認可申請をしたくありません」と涙ながらに教授会報告をしたことを思い出す。
しかし、そのご規制緩和の波が中央省庁にも訪れ、文部省のお役人さまもすっかりユーザー・フレンドリーになったということであった。
噂のとおり、対応に出た担当官はお二人とも、たいへんに物腰の柔らかい、親切な方たちであった。
応対に多少不愉快なことがあっても机を蹴飛ばして「こら、学者なめたらあかんど」というようなことをしないように、別れ際にお兄ちゃんから厳重に注意されていたが、ぜんぜんそういうようなことはなかった。(お兄ちゃんは厚生省、農林省相手に『昭和残侠伝』前半1時間の高倉健のような忍従の日々を送っているらしい。そのうちにお兄ちゃんぶちきれて「こら、資本主義渡世のアントレプレナーなめたらあかんど。そっちがお上なら、こっちにだってマーケットはんがついとんのやぞ」というふうになるのだろうか。なお、兄は横浜の人なので、関西弁はつかいません。)
予想よりスムーズに事前協議は終わり、用意していた質問事項にもきちんとお答えいただいて、一同5人(研究科委員長、学部長、学科長、担当事務官と私)はほっと胸をなで下ろして、ぞろぞろと東京駅に向かう。さっそく新幹線の中でビールで乾杯(と言っても私と上野先生だけ)。うまく認可まで持ち込めるとよいのだが。

しかし、さすがに東京日帰り出張はつらい。
家にはいずり帰って、ビールを呑んで、スマップの番組でリッキー・マーティンを見て「これ誰?」とるんに聞いてバカにされる。

「リッキー・マーティンだよ」
「それ、誰?」
「・・・・リッキー・マーティン」
「だから、誰なの? あ、スペイン語しゃべってる。ねえ、なんでスペイン語しゃべってるのに、リッキー・マーティンなの? なんで、ホセとかサンチョとかじゃないの? ねえ? ねえ?」
「うっせーよ」

すみません。
仕方がないので、ずるずるベッドに這っていって村上春樹・柴田元幸の『翻訳夜話』を読む。
やあ、これは面白い。私も「翻訳をするのが三度の飯より好き」な人間であるので、このお二人の話は一言一言が身に染みるほどよく分かる。自分と同じ意見にふかく頷きながらいつのまにか寝付いてしまう。ぐー。