『ユダヤ・イスラエル文化研究』に寄稿する原稿50枚を二日で書き上げる。
といっても、夏休みに書き散らしたレヴィナス論の山のような原稿(もう収拾がつかなくなっている)の第一章「レヴィナスと出会いの経験」100枚をばっさり半分に切って、論文一本にしたのである。
その前は「レヴィナスとフェミニズム」と題したカオスの山からショシャーナ・フェルマンについて書いた部分だけ抜き出して、『ためらいの倫理学』の書評の差し替え原稿に使った。
こうやって原稿のカオスの山にちょっとずつ分節線を引いて、論文を小出しにして、リボンをかけて包装すると、なんとなく「一丁上がり」という感じになる。
イリガライの悪口だけで100枚書いたが、これも「リュス・イリガライを駁す」とか題して独立した論文にするという手もある。
こうやって小売りした「小論文」をあとでまとめて「レヴィナス論」にすると、一粒で二度美味しいことになる。
「お奉行さま、さすがの悪知恵でございますな」
「ふふふ越後屋、資源リサイクルといってくれよ」
「バカとはさみは使いよう、ということでございますな」
「・・・」
昨夜は私の生誕50周年記念小宴会があった。
割烹小川主人の渾身の手料理を難波江先生、三杉先生、飯田先生とで堪能しようというわけである。
シャンペン、日本酒、ワインとごくごく頂きつつ、百合根と大原木長芋から始まるフルコースを食べ散らかす。メインは「土瓶蒸し」と「戻り鰹」。秋の京料理を心ゆくまで味わった。
教師が四人集まると、話は勢いの赴くところ同僚の悪口となる。ナバエさんはひとの愚劣さに触れると深い悲しみのうちに沈んで彼自身が傷ついてしまうタイプなので、惜しむらくは、その鋭利な知性を他人の悪口のために使わない。
というわけで、哀しみのナバエちゃんをわきにおいて、残る三人がもてる悪口雑言の語彙を競うかたちになった。口火を切るのが私、声が大きいのは飯田先生、舌鋒鋭いのは三杉先生。まことに、美味しい料理とお酒をいただきつつ、いない人間の悪口をいうのは無上の愉楽である。(と、鈴木晶先生もホームページできっぱり断言しておられた。)
そこに割烹亭主も料理を終えて乱入。国立の大学院の授業料が高すぎるといって夜空に怒りの咆吼が響いた。しかし、非人称の制度への悪口は、いまいちエッジがきかない。やはり悪口は固有名じゃないとねえ。
せっかく同学科の教員がおでましになったので、「ブルー・オクトーバー回避作戦」への協力をお願いする。「おさわがせパネラーズ」「極楽スキーの会」「合気道会」とさまざまなセクションでの遊び相手のみなさんであるから、私が消耗していっしょに遊ぶ元気がなくなることをたいへんに危惧してくれて、快くご協力の誓約をして頂いた。もつべきものは友である。
(2000-09-28 00:00)