9月15日

2000-09-15 vendredi

中村さんというライターの方にインタビューを受ける。
「男の家事」というテーマである。
中村さんは「男ももっと家事をして、自立を果たそう」というあたりを結論に予想していたようであるが、私の話は例によって、あちらへ飛びこちらへ流れ、奇を極めて、結論は「家族解体」に落ち着いた。
家族というのはたまたま十数年だけ共生するテンポラリーなユニットにすぎない。そのわずかな時間だけの共生ということの意味をよく理解すれば、家族のメンバーたちはもっとお互いに敬意をもって接するはずであるし、家庭の中に公共的な空間につながる回路がもっと深く通い、そこが「風通しのよい」場になるはずである。
家族の成員たちが、おたがいが何を考えているか、何をしているのかを知らないことはすこしも悪いことではない。むしろ「知らないままに受け容れる」というかたちで家族の愛情の深さは表現されるべきではないだろうか。
と、自説をぶいぶい語る。

そのあと梅田で、93年卒のゼミ生「デプレッション三人娘」と梅田でご会食をする。
みな、今年は三十路。むかしはきゃぴきゃぴの女子大生であったが、いろいろと人生の辛酸をなめた甲斐あって、立派にご成長されて、頼もしいかぎりである。
老師の知命を祝って、「椅子クッション+まくら」と「ゴルチエのネクタイ」を贈って下さった。どうもありがとう。
梅田のレストランでばりばりご飯をたべ、くいくいお酒を飲んでいるうちに、いつのまにか話題は「結婚話」。みなさん、なかなかご縁がないようである。(ひとりはご縁があったのだが、途中でご縁がなくなってしまった。うーむ)
「ぜーたくを言ってはいかん。男なんて、みんな結婚しちゃえば似たようなものなんだから、手近なので我慢しなさい」といつもの説教をする。
しかし、価値観が同じでなきゃやだとか、私の仕事に理解がなきゃやだとか、食べるものの好みが一緒でなきゃやだとか、いろいろ贅沢なことを言う。
そんな都合のよいのが「手近」にいるわけない。
それだけ条件の揃った相手が欲しければ、よほど気合いを入れてボーイハントしなければならない。というか(カノウ姉妹のように)ボーイハントを人生の目標に生活設計をし直す覚悟がいる。
いまの生活のままで偶然の出会いを待つなら、条件についてはある程度眼をつむるしかない。
「結婚相手なんて、だれだっていーわ」というなげやりなスタンスこそが結婚生活の幸福(などというものがあるとすれば)の鍵なのだよ。ほんとに。
と、いくら老師がかきくどいても、若い諸君は猜疑の目をむけるのでありました。(「先生は、私たちに不幸な結婚をさせて、自分の仲間をふやそうとしているのではないかしら?」
そ、そんな。それは考えすぎだよ。「ポーの一族」じゃないんだから。ははは、はははは。