9月4日

2000-09-04 lundi

一雨降ったら秋になった。
先週末、太宰府での杖道の流祖祭と全国大会出場のために、大学杖道会会員は大挙して九州へ下った。
さすが九州は遠い。午後3時からの流祖祭に間に合うつもりで朝7時に神戸を発ったのだが、30分遅刻してしまった。大荷物プラス5人乗り(飯田先生、ウッキー、佳奈ちゃん、セトッチ)で、さすがのインプレッサWRXもいまいち走りが重かった。
神道夢想流流祖を祀った夢想権之助神社は太宰府天満宮を少し上がった山腹の竈門(かまど)神社の境内にある。ちゃんと「神道夢想流杖道発祥の地」という大きな石碑も立っていた。
神事と奉納演武がある。奉納演武に出るつもりで行ったのだが、遅刻したので、拝見するだけ。深い森に囲まれた神社に100人ほどの杖道家が集まり、流祖に演武を奉納する。なかなか雅な催しである。
そこで鬼木先生と白井清蔵さんの演武を拝見する。
白井さんと鬼木先生はこれまでたびたび全国大会優勝を遂げてきた名コンビだが、鹿児島と兵庫に離れているので、大会の当日にしか顔を会わせる機会がない超テンポラリーなユニットである。だから、神社境内での奉納演武は大会前の唯一のリハーサル。会ったばかりの二人が一礼するや、猛然と斬り殺すような勢いで斬り付け、打ち込む。
他の組は、足場も悪いし、狭いので、抑え気味に演武しているのだが、鬼木白井組はいきなりトップスピード。このお二人はこういう形で「挨拶」をかわしているのだ、ということが私にも最近分かってきた。
終わったあと、ふたりは破顔一笑。少年のような笑顔に返る。私はこのコンビの大ファンであるので、今回もお二人のどちらか(できたら鬼木先生)が優勝してくれるように強く祈願する。

そのあと鬼木先生を囲んで夕食と激励会。鬼木先生は太宰府の人なので、待ち合わせ場所に実家からママチャリで登場する。「鬼木先生とママチャリ」という意外なヴィジュアルに一同驚く。(小野寺さんは早速カメラを取り出してそれを撮影)
長旅の疲れでビールが回り、はやめに宿に戻る。宿は太宰府の国民年金保養センターというところ。私は兵庫県の杖友会のみなさんと同室。
みなさん懇親会ですっかり下地が出来上がって宴会中である。朝が早かったのでこちらは眠いのだが、世間のお付き合いも大事であるので、ビールなどを頂く。
すると、あろうことか、そこには「おじさん」たちが蝟集していたのであった。
私はご存じの通り、大学と道場と家の三点循環生活であるので、「おじさん」たちとお付き合いする機会がきわめて少ない。遊び仲間は「女の子」か、「年のいった男の子」たちだけである。
「おじさん」と「年のいった男の子」はどこがどう違うか、というのはなかなかむずかしいのであるが、めやすとしては、仲間同士でわいわいやるときに

(1)敬語を使って話す
(2)プライヴァシーにかかわる話題をふらない
(3)病気の話をしない
(4)シモネタをふらない
(5)自慢話をしない
(6)同じ話を二度しない
(7)怒らない
(8)げろを吐かない
(9)トイレのスリッパを揃える

などである。これのどれかに抵触すると、私たちはただちに「おじさん」に区分されることになる。
ともあれ、ひさしぶりに炸裂する「おじさんパワー全開」に圧倒され、あたまがくらくらしてしまった。
世の中の若い女性に「おじさん」はあまり評判がよろしくないようであるが、私がもし「若い女性」であったら、たしかに敬して近づかないであろう。
へろへろになってようやくふとんにたどり着いたら、隣は私より先に「おじさんパワー」に圧倒されてダウンしていたT原先生。枕を並べて、先生の武道歴について静かにお話を聞く。

豪雨の中を大会会場の国士舘の体育館へ。
暑さと湿気と寝不足で「わしもーどーでもえーけんね」状態のところに、たちまち試合が始まる。
5月の大津大会は一回戦敗退という惨憺たる結果であったので、今大会の目標は「1回戦突破」である。打太刀は中村裕理さんにお願いする。
もうろうとして試合をしているうちに何となく勝ち進んで、ベスト8まで行ってしまった。すると人間、欲がでてくる。「おお次に勝つとベスト4か」、ちらりと対戦相手を見ると、変な髪型なので、何となくいけそうな気もする。
欲をかいたら、案の定、肩に力が入り、突きを外して負けてしまった。
鬼木先生はベスト8まで行ったところで白井さんと当たり、ユニットを一時解消して「潰し合い」。(残念ながら)白井さんが勝ち残る。白井-鬼木組は決勝まで進んだが惜しくも準優勝。
中村裕理さんの出た三段戦は今回いちばん面白かった。大津で初敗北を喫して捲土重来を期す宮田 "憂い顔" 勝一選手、ディフェンディング・チャンピオンの意地を見せたい野口 "杖使い" 晋祐選手、そこに広島の宮脇選手などが絡んで、見逃せない。結果的には宮田選手が優勝。しばらくは「もうどうにも止まらない」宮田黄金時代が続くことが予想される。裕理さんは野口さんに阻まれてベスト4ならず。
杖道会の諸君も前回とはうって変わって善戦。ウッキーが「ラッキー打太刀」であり、「ウッキーと組むと勝てるの法則」が発見された。初出場の段外の部で飯田先生がみごとベスト8入り。
というわけで、大津では角田さん以外全員緒戦敗退であったわが会も、今回は三部門でベスト8(鬼木先生も入れると4部門)入りという、発足4ヶ月目の会としては望外の好成績を収めた。
鬼木先生もお喜びで、前回は「大反省大会」だったが、今回は帰ってから「慰労会」をしてくれることになった。
やれやれ。遠く九州まで行った甲斐がありました。

帰りの車は飯田先生、ウッキーと三人。太宰府まで来たんだから、ということで天満宮にお参りして「学業成就」を祈願、梅ヶ枝餅を食べ、長駆神戸へ。帰りの車中はずっと「しりとり」。
5時間も「しりとり」をしていると、その人のボキャブラリーの偏りから、知的好奇心の分布図がほぼ分かる。飯田先生は「時代劇」に弱点があり、私は「現代芸能事情」に疎く、隙のない全方位的雑学で知られるウッキーは、実は「歴史」に大穴があることが発見された。
なお、「地名しりとり」で飯田先生が「ネアンデルタール」とお答えになったのを私が「却下」いたしましたが、これは私の誤りで、ネアンデルタール人は「ドイツ、デュッセルドルフ近郊のネアンデルタール峡谷」で発見された人骨のことでした。謹んで訂正させて頂きます。なお「マラリア」は、イタリア語の「マル」(悪い)「アリア」(空気)の合成語だそうですので、やっぱり「却下」です。